なり(成り・為り) 活用形・名詞

14/01/2016 17:48

1.
動詞なる(成る・為る)」の連用形音便形なっ(成っ・為っ)」。
2.
アクセント:なヲ]
2-1.
[成り]
将棋で」
駒が成ること。
成る2-4.
2-2.
[「おなり」の形で。]
貴人の外出・訪問などを敬っていう語。おでまし。
→おなり(御成)
2-3.
成ること。成就。

用例

1.
 越後三条生れなり兼ねたり伯父春庵とて医師なりよりは伯父愛せられて幼きより手習学問こと皆な伯父世話なりし自ら言う異ななれど物覚えよく聞て二三知るほどなりしゆえ伯父なお入れてこのこそ穂垂という苗字知らせまたその生国としてこのをも挙るものなれとていよいよ珍重して教えられ逢えばその吹聴さるる嬉しき思いますます学問入れしゆえ神童言われ十三小学校助教なれり名誉伯父面目ためには三条町幅狭きようにてこのばかりか近郷褒め草ある県令学校巡廻あり講義聴かれて天晴慧しきかなこれまで巡廻せし学校生徒うち比べるなし校長語られたりこの洩れ聞きてさてはこの冠たるのみならず新潟県下第一俊傑なりしこの県下第一ならば全国英雄集まる東京出るとも第二流には落つまじ俄かに気強くなりて密かに我と握りて打笑みたりこの頃考えには学者政治家などという区別考えなく豪傑英雄というのみにはありしなりさりければなおさらに学問励み新たに来る教師には難問かけて閉口させにはにも伯父にも開かせぬなり十五新潟出て英学せし教師教うるところ低くして満足せず八大家文読み論語さえ講義天下経綸せんとするオメオメと持つ持つ風船乗ってしつつ廻るのと児戯に類する学ばんや東京出でばかかるあるまじ深淵あらねば潜れず東京出て我が才識研ぎ驚かすほど大功業建てる天下第一大学者ならん一詩のこして新潟学校去り在所かえりて伯父出京語りし伯父顰め、「東京にて勉学望むところなりしかしまだ早し卑近なりとて知り覚ゆるだけ方便なり二三新潟にて英学なしその上にて東京出でよ学問にはよらじ上磨きだけ東京にてせよ止められ屈して一年独学したれどはしる如き出京志し弱き手綱繋ぐべきにあらず十七なりし決して伯父乞いもし許されずは出奔せん覚悟様子それ悟りて左まで思わば出京せよ許可得たり
 岡田虞初新誌好きで中にも大鉄椎伝全文暗誦すること出来るであったそれで余程から武芸して見たいと云う願望持っていたつい機会無かったので何にも出さずにいた近年競漕し始めてから熱心になり仲間推されて選手なる進歩したのは岡田この一面意志発展したのであった
森鷗外」1913)
「なり(成り・為り)」1.用例(1920年代)
 フロベニウスアフリカ文化史非常に優れたであるとともにまた実におもしろいであるそのおかげニグロ生活我々追体験し得るものなりニグロ文化我々理解し得るものなる我々それによっていわゆる未開人いかに見るべき教えられるフロベニウス自身指摘しているように人類文化統一ただこのような理解通じてのみ望み得られるのである
自分この読み始めた巻頭においてまず強い激動受けたそれ自分アフリカニグロについて何も知らなかったせいでもあるまた同時に英米人祖先たちアフリカに対してなした知らなかったせいでもある自分ここその個所紹介することによってに対する関心幾分かでもそそりたいと思う
 中国歴史形式精神創り出した司馬遷というなどこの世絶対者というもの認めていないどんな権力者どんな帝王どんな軍人政治家もと正せばまた本体洗ってみれば不完全な人間にすぎないこと証明するために一生ついやしたようなである英雄豪傑たち強いことつきつめればかえって人間弱さなり正しさ固まっているような実はどこか不正敗れ不正傾いているそのようなあさましさとして記録したこと自身不幸な境遇にもよるのだがこれ後々までも中国文学者流れて絶えぬこととなった
武田泰淳中国文学人間学1948
 わたくし安萬侶《やすまろ》申しあげます
 
宇宙はじめ當つてはすべてはじめまずできましたが、その氣性まだ十分でございませんでしたので名まえなく動きなく誰もその知るものございませんそれからしてとがはじめてなつて、アメノミナカヌシの、タカミムスビの、カムムスビのが、すべて作り出す最初なりそこで男女兩性はつきりして、イザナギの、イザナミのが、萬物生み出すなりましたそこでイザナギのは、地下世界訪れまたこの歸つて禊《みそぎ》してとが洗う現われ海水浮き沈みして洗うに、さまざま出ましたそれ故に最古時代は、くらくはるかあちらですけれども前々からのによつて國土生み成したこと知り物しりによつて生み人間成り立たせたことわかります
武田祐吉訳「(現代語譯)古事記」1956、冒頭) 
  もう一つ儒教です儒教ちょうど徳川幕府発足した一六〇〇ごろから仏教とって代わる支配的な知的形態としての地位確立しはじめるのですがこれ仏教唯識法相宗中観三論宗ようなややこしいものいきなり受け入れたようにはじめから朱子学という非常に高度な論理形態忠実に受け入れているそれ伊藤仁斎において徹底的な朱子学批判通してかなりシンプルになりある意味仁斎学風継承した荻生徂徠古文辞学なるその徂徠古文辞学方法影響もと本居宣長国学説いたころにはもう自然帰っているわけです同じころ安藤昌益自然帰れという思想生まれるそこへ収束してゆくのです高度なもの入っても鎌倉時代江戸時代という江上先生いわれる内面化段階日本人落着きいいところ収斂してきてそこで一種独創めいたものできる
(上山春平(石田英一郎・上山春平・江上波夫・増田義郎「座談会日本人好奇心エネルギー源泉」『日本文化構造』1972)
 一五九〇徳川家康そのころ江戸という名前知られていた今日東京入ったときここにはいくらか寂れたあるばかりでした二〇ほどうちそことても活気あるなり難船してここ訪れたフィリピン総督ドン・ロドリゴ・デ・ビベロこの都市計画褒め讃えてから見たところではスペイン家屋もっと美しいように見えるけれども入る日本ほう美しさにおいて上回る書きましたそのころ東京一五ぐらい人口持っていました
鶴見俊輔戦後日本大衆文化:1845~1980年」1984)
2-3.
成りも成らずも汝と二人はも
(「万葉集奈良時代