くれい(呉れい) 活用形

14/10/2011 11:47

→「くれ(呉れ)」「くれよ(呉れよ)

用例

五助は二人扶持切米取りで、忠利の牽きである。いつも鷹狩して野方《のかた》で忠利の気に入っていた主君ねだるようにして殉死許し受けた家老たち言った。「ほか方々高禄賜わって栄耀《えよう》したのにそち殿様牽きではないかそち殊勝で、殿様許し出たのは、この上もない誉れじゃもうそれよいどうぞ死ぬることだけ思い止まって当主奉公してくれい」と言った
森鷗外阿部一族」1913)
五助は人間言うように言った
おぬし畜生じゃから知らずにおるかも知れぬが、おぬしさすって下されことのある殿様は、もう亡くなり遊ばさそれでなってなされお歴々きょう切ってなさるおれ下司《げす》あるが、扶持《ごふち》を戴いてつないだお歴々変ったことはない殿様かわいがって戴いたありがたさ同じことじゃそれでおれ切って死ぬるのじゃおれ死んでしもうたおぬし今から野ら犬なるのじゃおれそれかわいそうならん殿様をしたは岫雲院で井戸飛び込んで死んだどうじゃおぬしおれ一しょ死のうとは思わんかいもし野ら犬なって生きてたい思うたこの握り飯食ってくれい死にたい思うなら食う
 こう言って見ていたが、は五助のばかり見ていて握り飯食おない
森鷗外阿部一族」1913)
それならおぬし死ぬるか」と言って、五助はきっと見つめた
 一声鳴いてふった
よいそんなら不便じゃ死んでくれいこう言って五助は抱き寄せて脇差抜いて一刀刺した
森鷗外阿部一族」1913)
忠利の許し得て殉死した十八ほかに、阿部弥一右衛門通信《みちのぶ》というものあった初めは明石《あかしうじ》で、幼名を猪之助《いのすけ》といったはやくから忠利の近く仕えて百石身分なっている島原征伐とき子供五人うち三人まで軍功によって新知百石ずつもらったこの弥一右衛門は家中でも殉死するはずように思い当人もまた忠利の夜伽出る順番来るたびに、殉死たい言って願ったしかしどうしても忠利は許さない。「そち満足思うが、それより生きていて光尚《みつひさ》に奉公してくれい」と、何度願って同じこと繰り返して言うのである。
森鷗外阿部一族」1913)
とにかく弥一右衛門は何度願っても殉死許し得ないでいるうちに、忠利は亡くなった亡くなる少しに、「弥一右衛門お願い申すことを申したことござりませんこれ生涯唯一お願いでござりますと言ってじっと忠利の見ていた、忠利もじっと見返して、「いやどうぞ光尚に奉公してくれい」と言い放った
森鷗外阿部一族」1913)
一座見渡した主人口を開いた。「夜陰呼びやったのによう来てくれた家中一般じゃというからおぬしたち聞いたに違いないこの弥一右衛門が瓢箪塗って切るじゃそうなそれじゃによっておれ瓢箪塗って切ろう思うどうぞ見届けてくれい
森鷗外阿部一族」1913)
兄き」と二男弥五兵衛が嫡子言った。「兄弟喧嘩するなと、お父っさん言いおいたそれには誰も異存あるまいおれ島原持場悪うて知行もらわずにいるからこれからおぬし厄介なるじゃろうじゃが何事あってもおぬしたしか一本あるというものじゃそう思うていてくれい
森鷗外阿部一族」1913)