あるいは(或いは) 接続詞・副詞
14/02/2012 04:32
[動詞「あり」の連体形に副助詞「い」と係助詞「は」が付いたもの。漢文訓読に由来する語法。本来は、「ある人は」「ある場合は」などの意の主格表現となる連語。古く「あるひは」と書かれることもあったが、「あるいは」が本来の形。]
1.
ここで、みりん、或いは酒を加えてください 本人或いは保護者の出頭を求める
2.
2-1.
ある事態が起こる可能性があるさま。もしかすると。ひょっとしたら。
或いはそうかもしれない 明日は或いは雨かもしれない 或いは私が見損なっていたのかもしれない
2-2.
[「あるいは…あるいは…」の形で]
同類の事柄を列挙して、様々な場合のあることを表す。一方では。
或いは踊り、或いは笛を吹く 夏休みには、海山に遊んで休養をはかる者もあり、或いは勉学にいそしむ者もある
[用法]
・「多くの外国人が、労働者として、あるいは/または留学生としてこの国で生活する時代になった」「明日は山間部で雨あるいは/または雪になるでしょう」のように、二つのうちのどちらか、ということを表す場合は、「あるいは」「または」の両方が使える。
・「講演は20時終了の予定だが、あるいは、30分ほど延びるかもしれない」のような「もしかすると」の意の副詞用法では、「または」は使えない。
・類義語に「それとも」がある。「それとも」は「進学するか、それとも就職するか、まだ決めていない」のように疑問の形の文をつなぐときに用いる。この場合、「あるいは」も「または」も使えるが、「それとも」が最も話し言葉的である。
(参考:「大辞泉」など。)
用例
1.
このあいびきは先年仏蘭西《フランス》で死去した、露国では有名な小説家、ツルゲーネフという人の端物《はもの》の作です。今度徳富先生の御依頼で訳してみました。私の訳文は我ながら不思議とソノ何んだが、これでも原文はきわめておもしろいです。
秋九月中旬というころ、一日自分がさる樺の林の中に座していたことがあッた。今朝から小雨が降りそそぎ、その晴れ間にはおりおり生ま煖《あたた》かな日かげも射して、まことに気まぐれな空ら合い。あわあわしい白ら雲が空ら一面に棚引くかと思うと、フトまたあちこち瞬く間雲切れがして、むりに押し分けたような雲間から澄みて怜悧《さか》し気《げ》に見える人の眼のごとくに朗《ほがら》かに晴れた蒼空がのぞかれた。自分は座して、四顧して、そして耳を傾けていた。木の葉が頭上で幽《かす》かに戦《そよ》いだが、その音を聞たばかりでも季節は知られた。それは春先する、おもしろそうな、笑うようなさざめきでもなく、夏のゆるやかなそよぎでもなく、永たらしい話し声でもなく、また末の秋のおどおどした、うそさぶそうなお饒舌《しゃべ》りでもなかッたが、ただようやく聞取れるか聞取れぬほどのしめやかな私語の声であった。そよ吹く風は忍ぶように木末を伝ッた。照ると曇るとで、雨にじめつく林の中のようすが間断なく移り変ッた。あるいはそこにありとある物すべて一時に微笑したように、隈なくあかみわたッて、さのみ繁くもない樺のほそぼそとした幹は思いがけずも白絹めく、やさしい光沢《つや》を帯び、地上に散り布《し》いた、細かな、落ち葉はにわかに日に映じてまばゆきまでに金色《こんじき》を放ち、頭《かしら》をかきむしッたような「パアポロトニク」(蕨の類い)のみごとな茎、しかも熟《つ》えすぎた葡萄めく色を帯びたのが、際限もなくもつれつからみつして、目前に透かして見られた。
(ツルゲーネフ作・二葉亭四迷訳「あひびき」1888)
(国木田独歩「運命論者」1903、冒頭)
2-1.
自分の親しく使っていた彼らが、命を惜しまぬものであるとは、忠利は信じている。したがって殉死を苦痛とせぬことも知っている。これに反してもし自分が殉死を許さずにおいて、彼らが生きながらえていたら、どうであろうか。家中一同は彼らを死ぬべきときに死なぬものとし、恩知らずとし、卑怯者としてともに歯《よわい》せぬであろう。それだけならば、彼らもあるいは忍んで命を光尚に捧げるときの来るのを待つかも知れない。しかしその恩知らず、その卑怯者をそれと知らずに、先代の主人が使っていたのだと言うものがあったら、それは彼らの忍び得ぬことであろう。彼らはどんなにか口惜しい思いをするであろう。こう思ってみると、忠利は「許す」と言わずにはいられない。そこで病苦にも増したせつない思いをしながら、忠利は「許す」と言ったのである。
(森鷗外「阿部一族」1913)
2-2.
未《ま》だ宵ながら松立てる門は一様に鎖籠めて、真直に長く東より西に横はれる大道は掃きたるやうに物の影を留めず、いと寂くも往来の絶えたるに、例ならず繁き車輪《くるま》の輾《きしり》は、或は忙《せはし》かりし、或は飲過ぎし年賀の帰来《かへり》なるべく、疎《まばら》に寄する獅子太鼓《ししだいこ》の遠響《とほひびき》は、はや今日に尽きぬる三箇日を惜むが如く、その哀切《あはれさ》に小き腸《はらわた》は断れぬべし。
(尾崎紅葉「金色夜叉」1897-1902、冒頭)
このあいびきは先年仏蘭西《フランス》で死去した、露国では有名な小説家、ツルゲーネフという人の端物《はもの》の作です。今度徳富先生の御依頼で訳してみました。私の訳文は我ながら不思議とソノ何んだが、これでも原文はきわめておもしろいです。
秋九月中旬というころ、一日自分がさる樺の林の中に座していたことがあッた。今朝から小雨が降りそそぎ、その晴れ間にはおりおり生ま煖《あたた》かな日かげも射して、まことに気まぐれな空ら合い。あわあわしい白ら雲が空ら一面に棚引くかと思うと、フトまたあちこち瞬く間雲切れがして、むりに押し分けたような雲間から澄みて怜悧《さか》し気《げ》に見える人の眼のごとくに朗《ほがら》かに晴れた蒼空がのぞかれた。自分は座して、四顧して、そして耳を傾けていた。木の葉が頭上で幽《かす》かに戦《そよ》いだが、その音を聞たばかりでも季節は知られた。それは春先する、おもしろそうな、笑うようなさざめきでもなく、夏のゆるやかなそよぎでもなく、永たらしい話し声でもなく、また末の秋のおどおどした、うそさぶそうなお饒舌《しゃべ》りでもなかッたが、ただようやく聞取れるか聞取れぬほどのしめやかな私語の声であった。そよ吹く風は忍ぶように木末を伝ッた。照ると曇るとで、雨にじめつく林の中のようすが間断なく移り変ッた。あるいはそこにありとある物すべて一時に微笑したように、隈なくあかみわたッて、さのみ繁くもない樺のほそぼそとした幹は思いがけずも白絹めく、やさしい光沢《つや》を帯び、地上に散り布《し》いた、細かな、落ち葉はにわかに日に映じてまばゆきまでに金色《こんじき》を放ち、頭《かしら》をかきむしッたような「パアポロトニク」(蕨の類い)のみごとな茎、しかも熟《つ》えすぎた葡萄めく色を帯びたのが、際限もなくもつれつからみつして、目前に透かして見られた。
(ツルゲーネフ作・二葉亭四迷訳「あひびき」1888)
(国木田独歩「運命論者」1903、冒頭)
2-1.
自分の親しく使っていた彼らが、命を惜しまぬものであるとは、忠利は信じている。したがって殉死を苦痛とせぬことも知っている。これに反してもし自分が殉死を許さずにおいて、彼らが生きながらえていたら、どうであろうか。家中一同は彼らを死ぬべきときに死なぬものとし、恩知らずとし、卑怯者としてともに歯《よわい》せぬであろう。それだけならば、彼らもあるいは忍んで命を光尚に捧げるときの来るのを待つかも知れない。しかしその恩知らず、その卑怯者をそれと知らずに、先代の主人が使っていたのだと言うものがあったら、それは彼らの忍び得ぬことであろう。彼らはどんなにか口惜しい思いをするであろう。こう思ってみると、忠利は「許す」と言わずにはいられない。そこで病苦にも増したせつない思いをしながら、忠利は「許す」と言ったのである。
(森鷗外「阿部一族」1913)
2-2.
未《ま》だ宵ながら松立てる門は一様に鎖籠めて、真直に長く東より西に横はれる大道は掃きたるやうに物の影を留めず、いと寂くも往来の絶えたるに、例ならず繁き車輪《くるま》の輾《きしり》は、或は忙《せはし》かりし、或は飲過ぎし年賀の帰来《かへり》なるべく、疎《まばら》に寄する獅子太鼓《ししだいこ》の遠響《とほひびき》は、はや今日に尽きぬる三箇日を惜むが如く、その哀切《あはれさ》に小き腸《はらわた》は断れぬべし。
(尾崎紅葉「金色夜叉」1897-1902、冒頭)
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