死ぬる(しぬる)

15/05/2014 10:02

→「しぬる(死ぬる)

用例

ああ、弟よ、を泣く、
死にたまふことなかれ。
末に生れしなれば
親のなさけは勝りしも、
親は刄をにぎらせて
人を殺せと教へしや、
人を殺して死ねよとて
廿四までを育てしや。
堺の街のあきびとの
老舗を誇るあるじにて、
親の名を継ぐなれば、
死にたまふことなかれ。
旅順の城はほろぶとも、
ほろびずとても、何事ぞ、
は知らじな、あきびとの
家《いへ》の習ひに無きことを。
死にたまふことなかれ。
すめらみことは、戦ひに
おほみづからは出でまさね、
互に人の血を流し、
獣の道に死ねよとは、
死ぬるを人の誉れとは、
おほみこころの深ければ、
もとより如何で思されん。
ああ、よ、戦ひに
死にたまふことなかれ。
過ぎにし秋を父君に
おくれたまへる母君は、
歎きのなかに、いたましく、
我子を召され、家を守り、
安しと聞ける大御代も
母の白髪は増さりゆく。
暖簾のかげに伏して泣く
あえかに若き新妻を
忘るるや、思へるや。
十月も添はで別れたる
少女ごころを思ひみよ。
この世ひとりのならで
ああまた誰を頼むべき。
死にたまふことなかれ。
与謝野晶子死にたまふことなかれ」1904)
そして殉死者遺族主家優待受けるということ考えてそれで家族安穏地位おいて安んじて死ぬること出来る思った。それと同時に長十郎の晴れ晴れした気色なった。
森鷗外阿部一族」1913)
五助は二人扶持切米取りで、忠利の牽きである。いつも鷹狩して野方《のかた》で忠利の気に入っていた主君ねだるようにして殉死許し受けた家老たち言った。「ほか方々高禄賜わって栄耀《えよう》したのにそち殿様牽きではないかそち殊勝で、殿様許し出たのは、この上もない誉れじゃもうそれよいどうぞ死ぬることだけ思い止まって当主奉公してくれい」と言った
森鷗外阿部一族」1913)
五助は人間言うように言った
おぬし畜生じゃから知らずにおるかも知れぬが、おぬしさすって下されことのある殿様は、もう亡くなり遊ばさそれでなってなされお歴々きょう切ってなさるおれ下司《げす》あるが、扶持《ごふち》を戴いてつないだお歴々変ったことはない殿様かわいがって戴いたありがたさ同じことじゃそれでおれ切って死ぬるのじゃおれ死んでしもうたおぬし今から野ら犬なるのじゃおれそれかわいそうならん殿様をしたは岫雲院で井戸飛び込んで死んだどうじゃおぬしおれ一しょ死のうとは思わんかいもし野ら犬なって生きてたい思うたこの握り飯食ってくれい死にたい思うなら食う
 こう言って見ていたが、は五助のばかり見ていて握り飯食おない
森鷗外阿部一族」1913)
それならおぬし死ぬる」と言って、五助はきっと見つめた
 一声鳴いてふった
よいそんなら不便じゃ死んでくれいこう言って五助は抱き寄せて脇差抜いて一刀刺した
森鷗外阿部一族」1913)
弥五兵衛以下一同もの寄り集まって評議した。権兵衛所行不埓には違いないしかし亡父弥一右衛門とにかく殉死者うち数えられているその相続人たる権兵衛でみれば賜うこと是非ない武士らしく切腹仰せつけられれば異存ないそれに何事奸盗かなんぞように白昼縛首せられたこの様子推すれば一族もの安穏には差しおかれまいたとい別に御沙汰ないにしても縛首せられたもの一族何の面目あって傍輩立ち交わって奉公しようこの上は是非およばない何事あろうとも兄弟わかれわかれなるな、弥一右衛門殿言いおかれたこのときことである一族討手引き受けてともに死ぬるほかはない一人異議称えるものなく決した
森鷗外阿部一族」1913)
阿部一族喜び非常であった世間咲き歌うであるのに不幸にして神仏にも人間にも見放されてかく籠居している我々であるそれ見舞うてやれというその言いつけ守って来てくれる実にありがたい心がけ心から感じたたち流してこうなり果てて死ぬるからは世の中誰一人菩提弔うてくれるものあるまいどうぞ思い出したら一遍回向してもらいたい頼んだ子供たち門外一足出されぬのでふだん優しくしてくれた柄本女房見て右左から取りすがってたやすく放して帰さなかった
森鷗外阿部一族」1913)
小姓静かに相役またがって止め刺して乙名小屋行って仔細話した。「即座に死ぬるはずでござりました不審あろう存じまして脱いで切腹しようとした乙名まず待てと言って権右衛門告げた。権右衛門まだ役所から下がって衣服改めずにいたのでそのまま出て忠利申し上げた。忠利尤もことじゃ切腹にはおよばぬと言ったこのときから小姓権右衛門捧げて奉公しているのである
森鷗外阿部一族」1913)