家(いえ) 名詞・作品名

08/09/2015 21:11

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用例

[発表年順]
 越後三条生れなり兼ねたり伯父春庵とて医師なりよりは伯父愛せられて幼きより手習学問こと皆な伯父世話なりし自ら言う異ななれど物覚えよく聞て二三知るほどなりしゆえ伯父なお入れてこのこそ穂垂という苗字知らせまたその生国としてこのをも挙るものなれとていよいよ珍重して教えられ逢えばその吹聴さるる嬉しき思いますます学問入れしゆえ神童言われ十三小学校助教なれり名誉伯父面目ためには三条町幅狭きようにてこのばかりか近郷褒め草ある県令学校巡廻あり講義聴かれて天晴慧しきかなこれまで巡廻せし学校生徒うち比べるなし校長語られたりこの洩れ聞きてさてはこの冠たるのみならず新潟県下第一俊傑なりしこの県下第一ならば全国英雄集まる東京出るとも第二流には落つまじ俄かに気強くなりて密かに我と握りて打笑みたりこの頃考えには学者政治家などという区別考えなく豪傑英雄というのみにはありしなりさりければなおさらに学問励み新たに来る教師には難問かけて閉口させにはにも伯父にも開かせぬなり十五新潟出て英学せし教師教うるところ低くして満足せず八大家文読み論語さえ講義天下経綸せんとするオメオメと持つ持つ風船乗ってしつつ廻るのと児戯に類する学ばんや東京出でばかかるあるまじ深淵あらねば潜れず東京出て我が才識研ぎ驚かすほど大功業建てる天下第一大学者ならん一詩のこして新潟学校去り在所かえりて伯父出京語りし伯父顰め、「東京にて勉学望むところなりしかしまだ早し卑近なりとて知り覚ゆるだけ方便なり二三新潟にて英学なしその上にて東京出でよ学問にはよらじ上磨きだけ東京にてせよ止められ屈して一年独学したれどはしる如き出京志し弱き手綱繋ぐべきにあらず十七なりし決して伯父乞いもし許されずは出奔せん覚悟様子それ悟りて左まで思わば出京せよ許可得たり
饗庭篁村良夜」1889、冒頭
 
間數玄關まで入れて手狹なれども吹とほし風入りよく廣々として植込木立茂ければ住居うつてつけ見えて場處小石川植物園ちかく物靜なれば少し不便にしてにはなき貸家ありけりはりしより大凡《おほよそ》ごしにも成けれどいまだに住人《すみて》さだまらでなきいと空しくなびく淋しかりき何處までも奇麗にて見こみ好ければうちには二人三人拜見とて來るもの無きにはあらねど敷金家賃三十限り取たてにて五十といふ夫れ下町相場とて折かへして來る無かりきさるほどに此ほど朝まだき四十近かるべき年輩《としごろ》紡績浴衣《ゆかた》少しさめたる着て至極そゝくさと落つき無き差配もと來たりて見たしといふ案内して其處此處戸棚など見せてあるく其等こと片耳にも入れで四邊《あたり》靜にさわやかなる喜び今日より直にお借り申まする敷金唯今置いて參りまして引越し夕暮いかにも急速で御座ります直樣掃除かゝりたう御座りますとて何の子細なく約束とゝのひぬ職業問へばいゑ別段これといふ御座りませぬとて至極曖昧答へなり人數聞かれて何だか四五御座ります七八にも成ります始終《とほし》ごたごたして御座りませぬといふ妙な思ひし掃除すみて日暮れがた引移り來たりし相乘りかけ姿つゝみて開きたる眞直に入りて玄關おろしければともともには見えじ思ひしげなれど乘り居たる三十利きし女中一人十八には未だ思はるゝやう病美人にも手足にも血の氣といふもの少しもなく透きとほるやうに蒼白きいたましく見えて折から世話やき來て居たりし差配此人《これ》先刻《さき》そそくさともとも受とられぬ思ひぬ
樋口一葉「うつせみ」1895、冒頭
「家(いえ)」用例(1909)
「家(いえ)」用例(1913)
ブルガリアでは建て掛かる通りかかった測りその埋めるその直ちに死ぬそうだ但し通らねば一番来合わせた動物測るまた代りになど殺しその土台濺《そそ》ぐこともある
南方熊楠人柱」1925)
「家(いえ)」用例(1940年代)
「家(いえ)」用例(1950年代)
  在地小領主戦国大名にまで成長した段階だした領内統治ためである分国法には多く場合子供分配ルール決めた項目あるそれ主人ちがう男女生れた子供配分であるたとえば、「塵芥集では男の子男親主人女の子女親主人取ること決めているまた結城家法度ではそれ原則ではある一〇一五まで育てた場合には男女とわず育てたほう主人その子供取るべきだ規定している
  このことまだ庶民大衆祖先たちこの段階では夫婦なし子供まであってもという在地小領主隷従者であり隷従者であるというように夫婦家族とともに一つ生活するという家族形態とっていないこと反映であるつまりわれわれ庶民大衆家族なし親子ともども生活するようになったのはこの時期以降具体的に江戸時代初頭からことである
大石慎三郎江戸時代」1977)
「家(いえ)」用例(1984)
 住むいなくなった木造民家ほとんど改修せずに使うデイ・サーヴィス施設だったもちろんバリアフリーからはほど遠い玄関には石段あり玄関引く玄関間ある脱いでよいしょ上がるこんどそれ開けてみな集《つど》っている居間入る軽い認知症患っているその女性お菓子おしゃべり興じている老人たちにはすぐに入れず呆然と立ちつくすなんとなくいたたまれず折ってしゃがみかけるとっさどうぞいざりながら自分使っていた座布団差しだす伸びる。「おかまいなく座布団押し戻し、「言うておす遠慮せんといっしょお座りやすふたたび座布団押し戻される…。
(鷲田清一「身ぶり消失」2005)
  ナカタさんはそもそも、たちとのコミュニケーションに完璧さを期待しているわけではなかった。なにしろ人間のあいだの会話なのだから、そんなに簡単に意思がすんなり通じあうものではない。だいいちナカタさん自身の会話能力にだって――相手が人間であるにせよであるにせよ――いささかの問題はある。先週のオオツカさんとは苦労なくすらすらとをすることができたけれど、それはむしろ例外的なケースであって、概して言えばちょっとした簡単なメッセージのやりとりにも手間のかかることが多かった。ひどいときには、の強い日に運河の両岸に立って声を掛けあっているみたいな様相を呈することもあった。今回がまさにそれだった。
  の種類で分けると、どうしてかはわからないのだが、とくに茶色の縞猫とは会話の波長があわないことが多かった。黒猫とはだいたいにおいてうまくいった。シャム猫といちばんうまくができるのだが、残念ながら町を歩いていて野良のシャム猫巡り合う機会はそれほど多くない。シャム猫たちはだいたいの中で大事に飼われている。そして野良猫にはどういうわけか茶色の縞猫が多いのだ。Наката изобщо не смяташе, че ще може лесно да се обясни с котките. Не е шега работа котките и хората да намерят общ език. А трябваше да се вземе предвид и още нещо:самият Наката имаше проблеми при говорене- не само с котките, но и с хората. Разговорът му с Оцука миналата седмица бе протекъл гладко, но той бе по-скоро изключение. В повечето случаи дори обменянето на елементарни фрази изискваше огромно усилие. Сякаш във ветровит ден двама души, застанали един срещу друг на бреговете на широка река, се опитват да си предадат нещо с викове. И с този котарак се получаваше същото.
Той не знаеше защо, но с котките с кафеникави ивици бе най-трудно да си на една и съща вълна. С черните, общо взето, всичко вървеше добре. Общуването със сиамките бе най-лесно, но за съжаление по улиците не се срещаха често изгубени сиамки. Сиамките обикновено ги държаха затворени вкъщи и добре се грижиха за тях. А кой знае защо, сред бродещите котки тези на кафеникави ивици бяха най-много.
(村上春樹「海辺のカフカ」2002、Харуки Мураками “Кафка на плажа” 2002, превод от англ. Людмил Люцканов)
[発表年未詳・筆者生年順]