かちゅう(家中)

01/01/2012 01:00

アクセントちゅう]
1.
家の中。屋敷の中。вътре в къща; вътре в (нечий дом)
2.
家の全員。家族全員。いえじゅう。всички членове на дадено семейство (които живят в един дом); всички домашни
家中一同よりот всички вкъщи; от цялото семейство
3.
戦国時代
に、武家の主君・家臣団の総体を示す擬制的同族呼称として使用され、次第に諸大名家臣の総称となった。藩士。また、江戸時代にはの意味にも用いられた。през периода Сенгокуджидай ( "период на воюващите царства") първоначално назовава общо самурайски валдедетел и хората, които служат в дома му, фиктивно обединявайки ги в едно семейство, домакинство, а по-късно започва да се употребява като общо название на даймьо и слугите/ подчинениете му в дима му; през периода Едо се употребявала и за назоваване на т. нар. хан (териотирята, която попада във владение на даден даймьо; също така, управленската структура на тази територия)

用例

3.
御前《ごぜん》死去の後、家中は若殿なきことを悲しみ
浮世草子井原西鶴好色一代女」1686)
それ殿様がお隠れなっ当日から一昨日《おとつい》までに殉死した家臣あって中にも一昨日《おとつい》一時に切腹し、昨日一人切腹したので家中一人殉死こと思わずにいるものなかっからであるТова бе така, тъй като от деня в който господаря бе умрял, до два дни по-рано от този ден повече от десет от подчинените му умряха за да го последват в гроба, особено два дни по-рано, когато осем души едновремено извършиха сепуку, а също и предишния ден, когато един човек извърши сепуку и сред всички хора в семейството нямаше нито една душа, която да не мислеше умирайки да го последва в смъртта.
森鷗外阿部一族」1913)(МОРИ ОГАЙ “КЛАНЪТ АБЕ” в превод на Нино Калоянов
自分親しく使っていた彼らが、惜しまものであるとは、忠利は信じているしたがって殉死苦痛せぬこと知っているこれ反してもし自分殉死許さずにおいて彼ら生きながらえてたらどうであろうか。家中一同彼ら死ぬべきとき死なものとし恩知らずとし卑怯者としともに歯《よわい》せであろうそれだけならば彼らあるいは忍んでを光尚に捧げるとき来る待つかも知れないしかしその恩知らずその卑怯者それ知らずに先代主人使っていたのだ言うものあったら、それ彼ら忍びことであろう彼らどんなに口惜しい思いするであろうこう思ってみると、忠利は「許す」と言わずにはいられないそこで病苦にも増しせつない思いながら、忠利は「許す」と言っのである
森鷗外阿部一族」1913)
忠利の許し得て殉死した十八ほかに、阿部弥一右衛門通信《みちのぶ》というものあった初めは明石《あかしうじ》で、幼名を猪之助《いのすけ》といったはやくから忠利の近く仕えて百石身分なっている島原征伐とき子供五人うち三人まで軍功によって新知百石ずつもらったこの弥一右衛門は家中でも殉死するはずように思い当人もまた忠利の夜伽出る順番来るたびに、殉死たい言って願ったしかしどうしても忠利は許さない。「そち満足思うが、それより生きていて光尚《みつひさ》に奉公してくれい」と、何度願って同じこと繰り返して言うのである。
森鷗外阿部一族」1913)
弥一右衛門はつくづく考えて決心した。自分身分で、この場合殉死せずに生き残って家中もの顔を合わせているということは百人百人所詮出来ぬことと思うだろう犬死知って切腹するか、浪人して熊本去るかのほかしかたあるまいだがおれおれだ。よい武士とは違う気に入らぬからといって立場なくなるはずはないこう思って一日一日ごとく勤めていた
森鷗外阿部一族」1913)
一座見渡した主人口を開いた。「夜陰呼びやったのによう来てくれた家中一般じゃというからおぬしたち聞いたに違いないこの弥一右衛門が瓢箪塗って切るじゃそうなそれじゃによっておれ瓢箪塗って切ろう思うどうぞ見届けてくれい
森鷗外阿部一族」1913)
十八殉死したときには、弥一右衛門は奉公していたのに殉死しない言って家中もの卑しんださてわずかに二三隔てて弥一右衛門は立派に切腹したが、当否措いて一旦受けた侮辱容易に消えがたく誰も弥一右衛門を褒めるものないでは弥一右衛門の遺骸霊屋《おたまや》かたわら葬ること許したのであるから跡目相続にも強いて境界立てずにおいて殉死者一同同じ扱いしてよかったのであるそうしたなら阿部一族面目施してこぞって忠勤励んだのであろうしかるに一段下がった扱いしたので家中ものの阿部侮蔑公《おおやけ》に認められたなった。権兵衛兄弟次第に傍輩《ほうばい》にうとんぜられて怏々として送った
森鷗外阿部一族」1913)