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殿様(とのさま)

15/10/2012 01:21

とのさま(殿様)

用例

それ殿様がお隠れなっ当日から一昨日《おとつい》までに殉死した家臣あって中にも一昨日《おとつい》一時に切腹し、昨日一人切腹したので家中一人殉死こと思わずにいるものなかっからである。Това бе така, тъй като от деня в който господаря бе умрял, до два дни по-рано от този ден повече от десет от подчинените му умряха за да го последват в гроба, особено два дни по-рано, когато осем души едновремено извършиха сепуку, а също и предишния ден, когато един човек извърши сепуку и сред всички хора в семейството нямаше нито една душа, която да не мислеше умирайки да го последва в смъртта.
森鷗外阿部一族」1913)(МОРИ ОГАЙ “КЛАНЪТ АБЕ” в превод на Нино Калоянов)
殿様寵愛なされもので、それ荼毘当日に、しかも荼毘所の岫雲院の井戸はいって死んだというだけ事実見て殉死したのだという判断をするには十分であった。それ疑って別に原因尋ねようとする余地なかったのである。Соколите бяха силно обичани от господаря и виждайки факта, че те умряха точно в деня на кремацията и освен това точно в кладенеца на храма Шюунин, мястото на кремацията, бе достатъчно да се отсъди, че соколите бяха умрели за да го последват в смъртта. Нямаше място някой да се съмнява в това и да започва да търси причините другаде.
森鷗外阿部一族」1913)(МОРИ ОГАЙ “КЛАНЪТ АБЕ” в превод на Нино Калоянов)
殉死にはいつどうしてきまっともなく自然出来ている。どれほど殿様大切に思えといって誰でも勝手に殉死出来るものではない。
森鷗外阿部一族」1913)
泰平江戸参勤いざ戦争というとき陣中への同じことで、死天の山《しでのやま》三途の川するにもぜひ殿様許しなくてはならない
森鷗外阿部一族」1913)
こういう弱みある長十郎あるが、怖れる微塵もないそれだからどうぞ殿様殉死許して戴こという願望《がんもう》は、何物障礙をもこうむらずにこの意志全幅領していのである
森鷗外阿部一族」1913)
しばらくして長十郎は両手持っている殿様はいって少し踏み伸ばされるように感じた。これまただるくなりなっのだ思っのでまた最初ようにしずかにさすり始めた。
森鷗外阿部一族」1913)
五助は
二人扶持切米取りで、忠利の牽きである。いつも鷹狩して野方《のかた》で忠利の気に入っていた主君ねだるようにして殉死許し受けた家老たち言った。「ほか方々高禄賜わって栄耀《えよう》したのにそち殿様牽きではないかそち殊勝で、殿様許し出たのは、この上もない誉れじゃもうそれよいどうぞ死ぬることだけ思い止まって当主奉公してくれい」と言った
森鷗外阿部一族」1913)
五助は
人間言うように言った
おぬし畜生じゃから知らずにおるかも知れぬが、おぬしさすって下されことのある殿様は、もう亡くなり遊ばさそれでなってなされお歴々きょう切ってなさるおれ下司《げす》あるが、扶持《ごふち》を戴いてつないだお歴々変ったことはない殿様かわいがって戴いたありがたさ同じことじゃそれでおれ切って死ぬるのじゃおれ死んでしもうたおぬし今から野ら犬なるのじゃおれそれかわいそうならん殿様をしたは岫雲院で井戸飛び込んで死んだどうじゃおぬしおれ一しょ死のうとは思わんかいもし野ら犬なって生きてたい思うたこの握り飯食ってくれい死にたい思うなら食う
こう言って見ていたが、は五助のばかり見ていて握り飯食おない
森鷗外阿部一族」1913)
寛永十九三月十七なった先代殿様一週忌である霊屋《おたまや》そばにはまだ妙解《みょうげじ》は出来ていぬが、向陽院という堂宇立ってそこに妙解院殿位牌安置せられ、鏡首座《きょうしゅざ》という住持している忌日《きにち》さきだって紫野大徳寺の天祐和尚《てんゆうおしょう》が京都から下向する年忌営み晴れ晴れしいものなるらしく箇月ばかりから熊本城下準備忙しかった
森鷗外阿部一族」1913)
兵衛光尚聞いて不快に思った第一権兵衛自分面当てがましい所行した不快であるつぎに自分外記納れてしなくてもよいことした不快であるまだ二十四血気殿様抑え制すること足りないをもって怨み報いる寛大心持ち乏しい即座に権兵衛おし籠めさせたそれ聞いた弥五兵衛以下一族もの閉じて御沙汰待つことして夜陰一同寄り合ってはひそかに一族前途ために評議凝らした
森鷗外阿部一族」1913)
阿部一族評議このたび先代一週忌法会ために下向してまだ逗留している天祐和尚すがることにした。市太夫和尚旅館往って一部始終話して、権兵衛に対する処置軽減してもらうように頼んだ和尚つくづく聞いて言った承れば一家成行気の毒千万であるしかし政道に対してかれこれ言うことは出来ないただ権兵衛殿死を賜わるなったらきっと助命願って進ぜようことに権兵衛殿すでに《もとどり》払われてみれば桑門同様身の上である助命だけいかようにも申してみようと言った。市太夫頼もしく思って帰った一族もの市太夫復命聞いて一条活路得たような気がしたそのうち立って、天祐和尚帰京とき次第に近づいて来た和尚殿様逢ってするたび阿部権兵衛助命こと折りあったら言上しようと思ったどうしても折りないそれそのはずである。光尚こう思ったのである。天祐和尚逗留権兵衛こと沙汰したらきっと助命請われるに違いない大寺和尚《ことば》でみれば等閑に聞きすてることなるまい和尚立つ待って処置しようと思ったのであるとうとう和尚空しく熊本立ってしまった
森鷗外阿部一族」1913)
そこで先代殿様病中、弥一右衛門殉死願って許されぬ聞いたときから、又七郎弥一右衛門胸中察して気の毒がったそれから弥一右衛門追腹家督相続人権兵衛向陽院での振舞いそれもとなって死刑、弥五兵衛以下一族立籠りという順序阿部家だんだん否運傾いて来たので、又七郎親身ものにも劣らぬ心痛した
森鷗外阿部一族」1913)
数馬忠利児小姓勤めて島原征伐とき殿様そばいた寛永十五二月二十五細川もの乗り取ろうとしたとき、数馬どうぞ先手おつかわし下されい忠利願った。忠利聴かなかった押し返してねだるように願う、忠利立腹して、「小倅勝手にうせおれ叫んだ。数馬そのとき十六である。「あっ言いさま駈け出す見送って、忠利怪我するなかけた乙名徳右衛門、草履取一人槍持一人あとから続いた主従四人であるから打ち出す鉄砲烈しいので数馬着ていた猩々緋陣羽織つかんであと引いた。数馬振り切って石垣攀じ登る是非なくついて登るとうとう城内はいって働いて、数馬負った同じ場所から攻め入った柳川立花飛騨宗茂七十二古武者このとき働きぶり見ていた渡辺新弥、仲光内膳数馬との三人天晴れであった言って三人連名感状やった落城のち、忠利数馬兼光脇差やって五十加増した脇差直焼無銘横鑢九曜三並び目貫赤銅縁金拵えである目貫二つあって一つ填めてあった。忠利この脇差秘蔵していたので、数馬やってからも登城ときなどには、「数馬あの脇差貸せと言って借りて差したこともたびたびある
森鷗外阿部一族」1913)
数馬そばだてた。「なにこのたびお役目外記《げき》申し上げて仰せつけられたのか
そうじゃ。外記殿殿様言われた。数馬先代出格取立てなされたものじゃご恩報じあれおやりなされい言われたもっけの幸いではないか
ふん言った数馬眉間には深い刻まれた。「よい討死するまでことじゃこう言い放って、数馬ついと起って下がった
森鷗外阿部一族」1913)
数馬傍輩から、外記自分推してこのたび当らせたのだ聞くや否や即時に討死しよう決心したそれどうしても動かすこと出来ぬほど堅固な決心であった。外記ご恩報じさせると言ったということであるこのはからず聞いたのであるが実は聞くまでもない、外記薦めるにはそう言って薦めるにきまっているこう思う、数馬立ってもすわってもいられぬような気がする自分先代引立てこうむったには違いないしかし元服してからのち自分いわば大勢近習うち一人別に出色扱い受けていないには誰も浴しているご恩報じ自分に限ってしなくてはならぬというのはどういう意味言うまでもない自分殉死するはずであったのに殉死しなかったから命がけ場所やるというのである何時でも喜んで棄てるさきにしおくれた殉死代りに死のうとは思わない惜しまぬ自分なんで先代中陰果て惜しんだであろういわれないことである畢竟どれだけ入懇になった殉死するというはっきりしたない同じように勤めていた近習若侍うちに殉死沙汰ないので自分ながらえていた殉死してよいことなら自分よりもさきにするそれほどことにも見えているように思っていたそれにとうにするはず殉死せずにいた人間として極印打たれたのはかえすがえすも口惜しい自分すすぐこと出来ぬ汚れ受けたそれほど加えることあの外記でなくては出来まい。外記としてはさもあるべきことであるしかし殿様なぜそれお聴きいれになった。外記傷つけられたのは忍ぶこと出来よう殿様棄てられたのは忍ぶこと出来ない島原乗り入ろうとしたとき先代お呼び止めなされたそれ馬廻りものわざと先手加わるお止めなされたのであるこのたび当主怪我するなおっしゃるのはそれとは違う惜しいいたわれおっしゃるのであるそれなんのありがたかろう古い新たに鞭うたれるようなものであるただ一刻早く死にたい死んですすがれる汚れではない死にたい犬死でもよいから死にたい
森鷗外阿部一族」1913)