アルファベット順

名(な)

24/10/2017 16:38

→「な(名)

用例

[発表年順]
 越後三条生れなり兼ねたり伯父春庵とて医師なりよりは伯父愛せられて幼きより手習学問こと皆な伯父世話なりし自ら言う異ななれど物覚えよく聞て二三知るほどなりしゆえ伯父なお入れてこのこそ穂垂という苗字知らせまたその生国としてこのをも挙るものなれとていよいよ珍重して教えられ逢えばその吹聴さるる嬉しき思いますます学問入れしゆえ神童言われ十三小学校助教なれり名誉伯父面目ためには三条町幅狭きようにてこのばかりか近郷褒め草ある県令学校巡廻あり講義聴かれて天晴慧しきかなこれまで巡廻せし学校生徒うち比べるなし校長語られたりこの洩れ聞きてさてはこの冠たるのみならず新潟県下第一俊傑なりしこの県下第一ならば全国英雄集まる東京出るとも第二流には落つまじ俄かに気強くなりて密かに我と握りて打笑みたりこの頃考えには学者政治家などという区別考えなく豪傑英雄というのみにはありしなりさりければなおさらに学問励み新たに来る教師には難問かけて閉口させにはにも伯父にも開かせぬなり十五新潟出て英学せし教師教うるところ低くして満足せず八大家文読み論語さえ講義天下経綸せんとするオメオメと持つ持つ風船乗ってしつつ廻るのと児戯に類する学ばんや東京出でばかかるあるまじ深淵あらねば潜れず東京出て我が才識研ぎ驚かすほど大功業建てる天下第一大学者ならん一詩のこして新潟学校去り在所かえりて伯父出京語りし伯父顰め、「東京にて勉学望むところなりしかしまだ早し卑近なりとて知り覚ゆるだけ方便なり二三新潟にて英学なしその上にて東京出でよ学問にはよらじ上磨きだけ東京にてせよ止められ屈して一年独学したれどはしる如き出京志し弱き手綱繋ぐべきにあらず十七なりし決して伯父乞いもし許されずは出奔せん覚悟様子それ悟りて左まで思わば出京せよ許可得たり
饗庭篁村良夜」1889、冒頭
 
五六寄って火鉢囲みながらしていると、突然一人青年来た聞かず会った事もない全く未知である紹介状携えずに取次通じて面会求めるので座敷招じたら青年大勢いるへ、山鳥提げて這入って来た初対面挨拶済むと、その山鳥真中出してから届きましたからといってそれ当座贈物した
夏目漱石「山鳥」『永日小品』1909、冒頭
「名(な)」用例(1910年代)

 ヴィヤグラ、インド語バグ、インドタミル語ピリ、ジャワマチャム、マレーリマウ、アラブニムル、英語タイガー、その他欧州諸国大抵これ似おりいずれもギリシアラテンチグリス基づくそのチグリスなるペルシア語チグリ(より出で駛く走る飛ぶ比べたるに因るならんというわが国でも古来実際見ずに千里走る信じ戯曲清正捷疾《すばやさ》賞して千里一跳虎之助など洒落て居るプリニ博物志に拠れば生きたローマ人初めて見たのはアウグスッスだったそれより欧州人実物見る極めてだったから捕うるため跳る疾さペルシア飛ぶ比べた聞き違えてプリニ二十五こんな《こと》述べて居る曰くヒルカニアインドあり疾く走る驚くべし多く産むそのことごとく取り去られた最も疾く走る例えば猟夫《ひま》乗じその子供取りて替えて極力馳せ去るもとより一向世話焼かず帰って覚る直ちに《におい》嗅いで尋ねごとく走り追うその近くなる猟夫虎の子一つ落すこれ銜えて奔り帰りそのをきてまた猟夫追うまた一つ落す拾い伴い帰りてまた拾い奔るかかる猟師余すところ子供全うして乗る立ちて望み見ていたずらに惆恨しかれども十七世紀には欧人東洋航して親《まのあた》り活きた自然生活まま観察した多くなりほど長途疾く走るものでない解ったので英国サー・トマス・ブラウン俗説弁惑《プセウドドキシヤ・エピデミカ》』プリニ破り居る李時珍いうその象《かたど》る唐音フウ、フウ吼えるそのそのまましたというんだこれしかるべき凡てどこでもオノマトープとて動物そのとしたすこぶる多い往年学芸志林浜田健次郎わが国詳しく述べられた異名多くある以後しばしば大虫呼んだ見える大きな動物すなわち大親分尊称したらしいスウェーデン牧牛女《うしかいめ》黙者《だんまり》、灰色《はいいろあし》、金歯《きんば》など呼び老爺《おやじ》、大父《おおちち》、十二《にんりき》、金脚《きんあし》など名づけ決してその本名呼ばずまた同国小農輩キリスト昇天日第二言わずいずれもその避けんため(ロイド『瑞典小農生活《ピザント・ライフ・イン・スエデン》』)。カナリース本名言わずベンガルでは必ず叔父ははかたおじ唱う(リウィス『錫蘭セイロン俗伝』)。わが邦にも諸職各々忌詞《いみことば》あって、『北越雪譜杣人《そまびと》猟師から女根まで決して本名称《とな》えぬ挙げ熊野でも巫輩《みこども》山の神また御客様など言い山中天狗天狗呼ばず高様《たかさま》と言ったまた支那李耳《りじ》称う郭璞《かくはく》食う値《あ》えばすなわち止《や》む故に李耳呼ぶその触るればなり〉、応劭《おうしょう》南郡化けた李耳名づくと言った李時珍これとし李耳狸児《りじ》訛《なま》ったので今も支那呼んで為すと言った日本専らたぬき訓《よ》ます支那ではたぬきほか学名フェリス・ヴィヴェリナ、フェリス・マヌル野猫をも呼ぶしたがって野狸別《わか》たんとて家狸異名因って想うに仏経罵って小蛇子と言うごとく狸児蔑して児猫といった意味だろうこれ似て日本擬《なぞら》えた『世事百談』とは大小剛柔遥かに殊《こと》なるといえどもその形状類する絶えて能く似たりされば我邦古《いにし》え手飼の虎いえる古今六帖浅茅生《あさぢふ》の小野篠原いかなれば手飼の虎伏所《ふしどころ》なる」、また源氏物語女三宮見えたり唐土《もろこし》小説山猫という事、『西遊記十三虎穴陥って金星解《とりのぞ》くいえる「〈伯欽道《い》う是個《こ》の山猫来れり云々見る一隻班爛虎〉」あり云々」、これ伯欽恃《たの》んで山猫蔑語したのだ
南方熊楠関する史話伝説民俗」『十二支』1914-23、冒頭
[発表年未詳・筆者生年順]
 
所謂文壇復活したる蘇峰先生時務一家言引続いて世界変局及び大正政局史論出し更に去年より筆硯新たにして大正青年帝国前途なる一篇公にした始め新聞掲載されて居つたにはどれ丈け世間耳目惹いた知らない十一月初め一部纏まつた著書として公にさるる非常評判を以て全国読書界迎へられ瞬く間数十売り尽した国民新聞云つて居る蘇峰先生盛名国民新聞広告を以て驚くべき多数読者得たといふ固より怪しむ足らぬけれども而かも旬日ならずして売行数ふるといふのは兎にも角にも近来稀なるレコードである是れ丈け沢山読まれたといふ自身既に吾人をして問題たらしめる値打ある況んや蘇峰先生反動思想些《いささ》か擡げんとしつつある今日に於て少からず社会注目惹くべきに於てをや
吉野作造(1878-1933)「蘇峰先生大正青年帝国前途読む冒頭
 昨日所謂彼岸中日でした吾々やうに田舎住むもの生活これから始まるといふです東京市中離れた此の武蔵野最中住んで居るから今日片寄せてある取り出してこの楽しむ為に根分しようとして居るところです実は久しいこと作つて居るのであるが二三年間思ふあつてわざと手入れしないで投げやりに作つて見た一体と云ふもの栽培法調べて見る或は菊作り秘伝書とか植木屋口伝とかいふものいろ/\とあつてなか/\面倒なものですこれほど面倒なものとすれば到底素人には作れないと思ふほどやかましいものですそして色々な秘訣守らなければ存分に立派な作られないといふことなつて居るところが昨年一昨年あらゆる菊作り法則無視して作つて見たたとへば早く根分けすること植ゑるには濃厚な肥料包含せしめなければならぬことなるべく大きなもの用ゐること五月七月九月摘まなければならぬこと日当りよくすること毎日一回乃至数回与へなければならぬことなつて肥料追加雑草除くことなどまだ/\いろ/\心得あるにも拘らず二三まるでやらなかつた根分やらず小さい植ゑた儘で取り替へせず摘まず勿論途絶え勝であつた云はゞあらゆる虐待薄遇とを与へたのだそれでもなるらしくそれ/″\出て綺麗な相当に優しい見せてくれたそれで考へて見れば栽培といつても絶対的に必須なものでもないらしい手入れすれば勿論よろしいしかし手入れ無くとも咲く植木屋などよく文人作りなどつけて売つて居るのはなどから見ればいつも少し出来過ぎて居てかへつて面白くない咲いた天然美しさより多く惹かれぬでもない
会津八一/會津八一(1881-1956)「根分しながら冒頭
 千九百二十三七月独逸出てから和蘭白耳義経て再びパリはひつた其処美術館見た目ぼしいもの見なほしたり見のこして置いたもの見たりするのが主たる目的だつたその二十七午後ルーヴル玄関はひつて直ちに折れ、Galerie Mollien突当つて同じ負ふ階段二階上り左折して仏蘭西初期画廊入る間もなく三階上る階段踏んでCollection Camondo到達したそれ千九百十一死んだキャモンド蒐集印象派絵画を以て有名なものであるさうしてこの蒐集には東洋芸術遺品相応にまじつてゐるのである
阿部次郎(1883-1959)「帰来冒頭