殉死(じゅんし)

21/12/2015 18:29

→「じゅんし(殉死)

用例

「殉死(じゅんし)」用例(1910年代)
 埴輪というのは元来その言葉示している通り埴土作った素焼き円筒ことであるそれたぶん八百ぐらい火熱加えたものらしく赤褐色呈している用途大きい前方後円墳周囲垣根であったこの素焼き円筒には上部いろいろな形象変化させたものあるその形象人間生活において重要な意味持っているものまた人々日ごろ馴れ親しんでいるもの現わしているとか道具とか家畜とか家禽とか特に男女人物とかそれである伝説では殉死習慣廃するために埴輪人形立て始めたということなっているその真偽わからないにしてもとにかく殉死同じように葬られる死者慰めようとする意図基づいたものであること間違いないところであろうそういう埴輪形象では人物動物などなかなかおもしろいあるそれわれわれわが国古墳時代造形美術として取り扱うことができるのである
 わが国古墳時代というと西暦紀元世紀ごろから世紀ごろまで応神仁徳朝鮮関係中心とした時代であるあれほど大きい組織的な軍事行動やっているくせにその事件愛らしい息長帯姫物語として語り残されたほどにこの民族想像力なお稚拙であったたとい稚拙であるにもしろその想像力一方わが国古い神話建国伝説など形成しつつあった他方ではこの埴輪人物動物など作っていたのである言葉による物語と、形象による表現とはかなり異なっているしかしそれ同じ想像力働きであること考えればいろいろ気づかされるあることと思う
和辻哲郎人物埴輪1956冒頭
 たとえば、1970年代に三島由紀夫自殺したことは、われわれを驚かせた。だが、彼は昭和45年に切腹したのであれば、それほど驚くべきではないだろう。おそらく三島がそのことを意識していたはずなのだ。われわれは三島の行動に2.26の叛乱の“再現”を見がちであるが、むしろ明治45年における乃木将軍の殉死想起すべきなのである。乃木将軍の自決も、そのアナクロニズムによって、当時の人々を驚かせた。天皇は立憲君主国君主であるから、それに対して殉死は考えられない。乃木将軍は天皇に対して、封建的な主君に対する忠誠関係をとったのだ。明治20年以後の近代国家の体制のなかで育った、芥川龍之介志賀直哉が乃木のアナクロニズム嘲笑したのは当然である。
 しかし、それは森鷗外に衝撃を与え、『興津弥五右衛門の遺書』を書かせた。それ以後、鷗外は武士あるいは封建的世界の人間を描く歴史小説に移行した。ここで「封建的」というのは、直接の主人に対しては絶対的な忠誠関係をもつが、それ以上の上司に対してはもたないような関係の在り方をさす。このために、封建的な体制は、中央集権的な近代国家と違って、多元的な勢力の反乱にさらされる。鷗外が描いた『阿部一族』の人々は、主人への忠誠のゆえに藩に反逆することを辞さない。こうした封建的人間には、唯一の主権者に全面的に従属(subject)することによって主体(subject)となる近代国家の個人にはないような独立性がある。実際、明治40年代の「自由民権」運動を支えていたのは、そのような近代人ではない、封建的な人間の独立心であり自負心である。だが、それは西南戦争に示されるように、国家主権を否定する内乱に導かれるほかない。
(柄谷行人「終焉をめぐって」1990)