いつも(何時も) 名詞・副詞

12/10/2015 23:59

アクセントつも]
1.
1-1.
普段の状態。平生。обичайно състояние; положението/ състоянието по принцип; винаги
私はいつもは歩いて通学している。Аз по принцип ходя пеша на училище. 彼女、いつもと様子が違うね
1-2.
普段のとおり。常《つね》。平生。както обикновено; винаги
いつものとおりкакто винаги いつもの時間にいつもの場所で会うсрещаме се на обичайното място в обичайното време
2.
いつと限定しないさま。常に。どんな時・場合でも。винаги; постоянно
彼女は実力はまったくないが、いつも威勢だけはいい。Тя няма никакви реални способности; хубавото й е само това, че винаги е с желание. いつも批判的な発言をするからといってその人がその組織のことを愛していないとは限らない。Това, че този човек винаги се изразява критично не означава непременно, че не обича организацията/ институцията.

[用法]
「いつも」「つねに
・「彼女はいつも/常に机に向かって勉強している」「彼はいつも/常に笑顔を絶やさない」の場合には相通じて用いるが、「いつも」は「いつもの所で会う」のように、それまでと同じ、の意味でも使われる。
・「常に」は堅い言い方で、「三角形の内角の和は常に二直角である」のように普遍的真理を表したり、「常に精進を怠ってはならない」のような言い回しに用いたりする。
・類義語に「
しょっちゅう」「しじゅう」があり、「私はしょっちゅう/しじゅう忘れ物をする」のように用いられる。ともに、頻繁に行われる意であるが、「いつも」や「常に」を使うと、「ほとんど例外なく」「必ずといってよいほど」の意になる。
(参考:「大辞泉」など。)

用例

1-2.
 
シャルヽ・ペロー童話赤頭巾といふ名高いあります既に御存知とは思ひます荒筋申上げます赤い頭巾かぶつてゐるので赤頭巾呼ばれてゐた可愛い少女いつもやうにお婆さん訪ねて行くお婆さん化けてゐて赤頭巾ムシャムシャ食べてしまつたといふでありますまつたくたゞそれだけであります
 
童話といふものには大概教訓モラルといふもの有るものですこの童話にはそれ全く欠けてをりますそれでその意味からアモラルであるといふことで、仏蘭西では甚だ有名な童話でありさういふ引例場合屡々引合ひ出されるので知られてをります
 
童話のみではありません小説全体として見てもいつたいモラルない小説といふのがあるでせうか小説家立場としてもなにかモラルさういふもの意図なくて小説書きつゞける――さういふこと有り得ようとはちよつと想像できません
ところがこゝ凡そモラルといふもの有つて始めて成立つやうな童話全然モラルない作品存在するしかも三百ひきつゞいてその生命持ち多く子供多く大人生きてゐる――これ厳たる事実であります
坂口安吾文学ふるさと」1941、冒頭
2.
[発表年順]
「いつも(何時も)」2.用例(1910年代)
ニモマケズ
ニモマケズ
ニモ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダモチ
ナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日玄米
味噌少シ野菜タベ
アラユルコト
ジブンカンジョウ入レズニ
ヨクミキキワカリ
ソシテワスレズ
野原※(「「蔭」の「陰のつくり」に代えて「人がしら/髟のへん」、第4水準2-86-78)かげ
小サナ萓ブキ小屋ヰテ
病気コドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ツカレタアレバ
行ッテソノ負ヒ
死ニサウナアレバ
行ッテコハガラナクテモイヽイヒ
ケンクヮソショウアレバ
ツマラナイカラヤメロイヒ
ヒドリトキナミダナガシ
サムサナツオロオロアルキ
ミンナデクノボーヨバレ
ホメラレセズ
ニモサレズ
サウイフモノ
ワタシナリタイ
宮沢賢治/宮澤賢治(1896-1933)「雨ニモマケズ」遺稿、冒頭
「いつも(何時も)」2.用例(1948)
 世界史的に見る高い文化地域伝わっていく場合そういう征服侵略伴って行なわれたのがむしろ常態だろうと思いますところが日本文化征服などとは無関係に高文化からその時々さまざまいいものいただいている珍しいです世界大勢外来文化受けとるということ外来文化きらびやかなものとか思想受けとるということだけではなくそういうもの作り上げた民族なり政治集団なり直接に乗り込んできてその社会攪乱するという事態つねに結びついているですからもたらされたものどんなに魅力的な外来文化であってもいつも素直には受けとめられないつまり外来文化流入には宿命的にそのには警戒すべき条件抱き合わせなっているという一種不安感みたいなものあるのではないかしかし日本場合その歴史的条件から征服なしにしかも外国人切り離して外国思想だけ抽象化された入ってきましたからそういう警戒心恐怖感覚いっさいない日本人外来文化に対して旺盛な好奇心もちそれすぐ模倣結びつくというのはそのへん根本的な理由あるのではないかということ考えているわけです
(増田義郎(石田英一郎・上山春平・江上波夫・増田義郎「座談会日本人好奇心エネルギー源泉」『日本文化構造』1972)
 かんけりかん思いっきりけっとばすとき気持ちいいんだ小六男の子いう中心置かれたあきかん吸い寄せられるようにして物陰から物陰へと忍び寄っていく見せたオニとの距離見切ったときもうからだ物陰からとび出しているオニ猛然と迫ってくるオニからだほとんど交錯するようにしながら一瞬早くあきかん横腹蹴るあきかん空中ゆっくり描いてくるりくるりと舞うときとまれでも叫んでしまいそうな快感押し寄せる同時にという何ものかなく抜け出していきとても身軽になったからだだけ残されるもっともいつもそんなにうまく蹴れるわけではないしばしばかんさわがしいたてながら舗道転がっていったり二、三メートル芝生ぽとんと落ちてとまったりするそれでもかん蹴った喜び変りない
 小六少年またいうかんけり隠れているときとっても幸福なんだなんだか温かい気持ちするいつまででも隠れていてもう絶対に出て来たくなくなるんだ管理塔からの監視死角隠れているとき一人であってもあるいは二、三いっしょであっても羊水包まれたような安堵感生まれるいうまでもなくこの籠り管理社会した市民社会からのアジール避難所創建身ぶりなのだ市民社会からの離脱内閉においてかいこまゆつくるようにもう一つコスモス姿現してくるそれ胎内空間にも似て根源的な相互的共同性充ちたコスモスである大人子どもそこで見失った自分なる子ども〉、〈無垢なる子ども再会するのである
 小六男の子最後もう一つつけ加えていうかんけり、「オニ違ってほか救おうとする自分救われたいけれどつかまった仲間助けなくちゃって夢中になるのが楽しいだけどオニ大変だオニ気の毒だから何回かかん蹴られたら交替するんだ実際かんけりでは隠れた誰もオニ見つかって市民社会復帰したいとは考えない運悪く捕われても勇者忽然と現れて自分救出してくれること願っている隠れた囚われた奪い返して帰って来ようとするのはつねにアジール市民社会例外的領域であるオニ気の毒であるのはオニ最初から市民社会住人であるかぎり隠れた何人見つけてもそのこと自分市民社会復帰するドラマ経験しようがないからである隠れる市民社会では囚われ人以外ではなくしたがってオニ管理者であることやめることはできない
(栗原彬「かんけり政治学1984
[発表年未詳・筆者生年順]
 
昨日所謂彼岸中日でした吾々やうに田舎住むもの生活これから始まるといふです東京市中離れた此の武蔵野最中住んで居るから今日片寄せてある取り出してこの楽しむ為に根分しようとして居るところです実は久しいこと作つて居るのであるが二三年間思ふあつてわざと手入れしないで投げやりに作つて見た一体と云ふもの栽培法調べて見る或は菊作り秘伝書とか植木屋口伝とかいふものいろ/\とあつてなか/\面倒なものですこれほど面倒なものとすれば到底素人には作れないと思ふほどやかましいものですそして色々な秘訣守らなければ存分に立派な作られないといふことなつて居るところが昨年一昨年あらゆる菊作り法則無視して作つて見たたとへば早く根分けすること植ゑるには濃厚な肥料包含せしめなければならぬことなるべく大きなもの用ゐること五月七月九月摘まなければならぬこと日当りよくすること毎日一回乃至数回与へなければならぬことなつて肥料追加雑草除くことなどまだ/\いろ/\心得あるにも拘らず二三まるでやらなかつた根分やらず小さい植ゑた儘で取り替へせず摘まず勿論途絶え勝であつた云はゞあらゆる虐待薄遇とを与へたのだそれでもなるらしくそれ/″\出て綺麗な相当に優しい見せてくれたそれで考へて見れば栽培といつても絶対的に必須なものでもないらしい手入れすれば勿論よろしいしかし手入れ無くとも咲く植木屋などよく文人作りなどつけて売つて居るのはなどから見ればいつも少し出来過ぎて居てかへつて面白くない咲いた天然美しさより多く惹かれぬでもない
会津八一/會津八一(1881-1956)「根分しながら冒頭