私(わたくし) 名詞・代名詞

15/09/2013 11:44

→「わたくし(私)

用例

このあいびき先年仏蘭西《フランス》死去した露国では有名な小説家ツルゲーネフという端物《はもの》です今度徳富先生依頼訳してみました訳文我ながら不思議とソノ何んだこれでも原文きわめておもしろいです
九月中旬というころ一日自分さる座していたことあッた今朝から小雨降りそそぎその晴れ間にはおりおり生ま煖《あたた》かな日かげ射してまことに気まぐれな空ら合いあわあわしい白ら雲空ら一面棚引くかと思うとフトまたあちこち瞬く間雲切れしてむりに押し分けたような雲間から澄みて怜悧《さか》し気《げ》に見えるごとくに朗《ほがら》かに晴れた蒼空のぞかれた自分座して四顧してそして傾けていた木の葉頭上幽《かす》かに戦《そよ》いだその聞たばかりでも季節知られたそれ春先するおもしろそうな笑うようなさざめきでもなくゆるやかなそよぎでもなく永たらしい話し声でもなくまたおどおどしたうそさぶそうなお饒舌《しゃべ》りでもなかッたただようやく聞取れる聞取れぬほどしめやかな私語であったそよ吹く忍ぶように木末伝ッた照る曇るじめつくようす間断なく移り変ッたあるいはそこありとあるすべて一時微笑したように隈なくあかみわたッてさのみ繁くないほそぼそとした思いがけず白絹めくやさしい光沢《つや》帯び地上散り布《し》いた細かな落ち葉にわかに映じてまばゆきまでに金色《こんじき》放ち頭《かしら》かきむしッたような「パアポロトニク」(類いみごとなしかも熟《つ》えすぎた葡萄めく帯びた際限なくもつれからみして目前透かして見られた
ツルゲーネフ作・二葉亭四迷訳「あひゞ」1888、冒頭)
竹内数馬幼いには養子させて家督相続許されたこののち絶えた高見権右衛門三百千場作兵衛、野村庄兵衛五十加増受けた柄本又七郎へは米田監物《けんもつ》承って組頭内蔵之允《くらのすけ》使者やって賞詞あった親戚朋友よろこび言い来る、又七郎笑って、「元亀天正ころ城攻め野合せ朝夕同様であった阿部一族討取りなぞ茶の子茶の子茶の子じゃと言った立って正保元年、又七郎癒えて光尚拝謁した。光尚鉄砲預けて、「根治するように湯治したくばいたせまた府外別荘地つかわすから場所望めと言った。又七郎益城小池屋敷地もらったその背後藪山である。「藪山つかわそう、光尚言わせた。又七郎それ辞退した平日ご用立つ戦争でもある竹束たくさんいるそれ拝領しては済まぬというのであるそこで藪山永代御預けということなった
森鷗外阿部一族」1913)
森鷗外阿部一族」1913)
医者に連れて行きたくっても、おも何も無いのですから、は坊やに添寝して、坊やの黙って撫《な》でてやっているより他は無いのでございます。И да искам да го заведа на лекар, нямам ни пари, ни нищо, затова не ми остава друго освен да легна до момчето и да му галя главичката мълчаливо.
太宰治ヴィヨン」1947)(Дадзай Осаму “Съпругата на Вийон” в превод на Агора София, 2011)