アクセント

18/08/2015 15:42

英語:accent]
アクセントくせんと]
1.

個々の語について社会慣習的に決まっている、相対的な高低や強弱の配置。英語・ドイツ語などに見られる「強さ/強弱アクセント」と、日本語などに見られる「高さ/高低アクセント」との二種がある。音調。アクサン。ударение
2.

話し方の調子。語調。イントネーション。акцент; интонация
3.

音楽で、小節の中で、特に強く拍を打つ部分。強勢部。強調される. (в музиката) акцент
4.

文章やデザインなどで、全体を引き締めるため、特に強調したり目立たせた り変化をつけたりする部分や物。強調する点。重点。(в текст, дизайн и пр.) мястото/ нещото, което искам да подчертая; акцент

文章にアクセントをつけるпоставям акцент в даден текст ベルトでアクセントをつけた服облекло, в което акцентира на колана フリルでアクセントをつける

用例

1.
 かく日本のは、内容上にも形式上にも、西洋と全く反対なる、背中合せの特色によって発展して来た。そしてこの事情は、全く我々の国語に於ける、特殊な性質にもとづくのである。元来、言語に於ける感情的な表出は、主として語勢の強弱、はずみ、音調等のものによるのであって、アクセント平仄とが、その主なる要素になっている。然るに日本の国語には、この肝腎《かんじん》なアクセント平仄が殆どないため、音律的には極めて平板単調の言語にできている。特に純粋の日本語たる、固有の大和言葉がそうである。試みに我々の言語から、すべての外来音たる漢語一切を除いてみよ。後に残った純粋の大和言葉が、いかに平板単調なのっぺら棒で、語勢や強弱の全くない、だらだらした没表情のものであるかが解るだろう。
 しかしこうした没音律の日本語にも、その平板的な調子の中に、或る種のユニックな美があるので、これが和歌等のものに於ける、優美な大和言葉の「調べ」になっている。けれどもこの特殊の美は、極めてなだらかな女性的な美である故《ゆえ》に、或る種の抒情詩の表現には適するけれども、断じて叙事詩の表現には適合しない。叙事詩は男性的なものであるから、極めて強い語勢をもった、音律のきびきびした音律でなければ、到底表現が不可能である。アクセントもなく平仄もない、女性的優美の大和言葉は、いかにしても叙事詩の発想には適しない。これ実に日本に於て、昔から真の叙事詩エピック》が無い所以《ゆえん》である。(此処《ここ》で「真の」と断わるのは、多少それに類したものは、上古にも後世にもあったからだ。)
 思うに日本語ほど、この点で特殊であり、非叙事詩的《アンチエピカル》な国語は世界に無かろう。西洋の言語は、どこの国の言語であっても、ずっと音律が強く、平仄アクセントがはっきりしている。特にその叙事詩的《エピカル》のことに於て、独逸語は世界的に著るしい。独逸語の 音律は、ニイチェが非難した如く軍隊の号令的で、どこまでも男性的にきびきびしており、音語が挑戦《ちょうせん》的に肩を張ってる。(実に独逸という国は 言語からして叙事詩的《エピカル》に出来上っている。)東洋に於てさえも、支那語は極めてエピカルである。支那語は古代の漢音からして、平仄に強くアクセントがはっきりしている。故に支那の文学は、昔から叙事詩的な情操に富み、詩人は常に慷慨《こうがい》悲憤している。吾人が日本語によってこの種の表現をしようとすれば、いかにしても支那音の漢語を借り、和訳された漢文口調でする外はない。純粋の大和言葉を使った日には、平板的にだらだらとするばかりで、どんな激越の口調も出ない。(大和言葉によっては、決して革命は起らない。)明治の改革は、実に幕末志士の漢文学からなされたのである。
 独逸語と支那語とが、発韻に於て多少似ていることに注意せよ。今日我が国の軍隊等で、少許《すこし》のことを「じゃっかん」と言い、物乾場のことを「ぶっかんじょう」と言い、滑稽《こっけい》にまで無理に漢語を使用するのは、発音に於けるエピックな響を悦《よろこ》ぶのである。著者はかつて「郷土望景詩」の或る詩篇で、一種の自己流な漢文調から、独逸語に似た詩韻を出そうと試みた。
萩原朔太郎「詩の原理」1921)
4.
 住む東京都品川旗の台近辺では子どもたち普通隠れん坊することほとんどないそのかわりに変型した隠れん坊しばしばおこなわれている商店街裏手入り組んだ路地整地小工場跡地まだ入っていない建て売り住宅周り周囲ビル押しつぶされそうな小公園子どもたち呼び方では複数オニとかオニといった隠れん坊変り種生き延びているその変り種なかでもかんけり子どもたち好まれている
 「複数オニとはその呼び名とおり見つかったすべて見つかった時点オニ転じて複数オニ残り隠れている子ども探す隠れん坊である
 「オニ場合立木《たちき》でも一部でもよいオニ決めたオニより早くタッチすればオニなることから免れるただしかんけり違って助かるのはタッチした本人だけである
 子どもたち集まって何かして遊ぼうとするとき隠れん坊しないで複数オニオニすることには見過ごし難い意味ありそうだ隠れん坊藤田省三或る喪失経験――隠れん坊精神史という論文(『精神史的考察平凡社一九八二所収述べたように人生凝縮して型取りした身体ゲームであるオニひとり荒野彷徨隠れるどこか籠るという対照的な構図あるけれどもいずれも同じ社会から引き離される経験でありオニ隠れていた見つけることによって仲間いる社会復帰隠れたオニ見つけてもらうことによって擬似的な世界から蘇生して社会戻ることができる隠れん坊子ども遊び世界から消えること子どもたち相互役割演じ遊ぶことによって自他再生させつつ社会復帰する演習経験失うということであるたしかに複数オニオニおこなわれているけれどもそれらもはや普通隠れん坊退屈さ救うためにアクセントつけたといったていどことではない
 小学六年男の子から聞いた翻案すれば、「複数オニ演習主題裏切りであるオニつぶってかぞえている子どもたちいっせいに逃げるそれぞれ隠れ場所工夫しても同じ方向逃げれば近くいる同士互いにどの辺隠れている知っているそのとき一方見つかれば即座にオニというスパイ変じて寸秒仲間だった隠れ家あばくことになる近く隠れたとの仲間意識裏切り裏切られる恒常的な不安によって脅かされている連帯裏切りとの相互変換半所属不安産み出しその不安抑えこもうとして裏切り者残党狩りいっそう過酷なものなるオニ聖なる媒介者であることやめて秘密警察転じ隠れる一人ひとり癒し難い離隔深めつつ仲間スパイ抱えた逃亡者集団化す
 「オニについてさきほど少年自分だけ助かればよいゲームという
オニ本質いいつくした説明であろう。「なる元来呪的な意味もち集団成り立たせる中心であっただが今日子どもたちおこなうオニでは、「社会秩序そのものであり、「触れること自分守ってくれる秩序へのコミットメント競争場裡獲得すること選良資格手にすることである社会秩序中心私的エゴイズムとを結びつけるため単独行的な冒険ということ、「オニ演習本義なのだ
(栗原彬「かんけり政治学1984