ただ(唯・只・但) 副詞・接続詞

15/04/2012 06:06

「ただ(直)」と同源。]
アクセントだ]
1.
1-1.
ある物や事柄に限定され、他は問題にならないことを表す。そのことだけをするさま。それより他にないと限定するさま。もっぱら。ひたすら。само; единствено
ただ君だけが頼りだ。Единствено на теб мога да разчитам. ただ時間ばかりかかってちっとも進まない。Само отнема време, а няма никакъв напредък. 今はただ無事を祈るばかりだ。Сега се моля единствено всичко да е наред. ただ遊んでばかりでは/いては、あとで後悔するよ。Като само се забавляваш, после ще съжаляваш.
1-2.
数量・程度などがごく少ないさま。わずかに。たった。(изрзява, че степен, количество и пр. е малко) само
ただ一つсамо едно ただの100円само 100 йени ただ一目会いたいばかりに何千キロを行く。Пропътувам хиляди километри, за да се видим дори и само вднъж. 満点はただ(の)二人。Само двама души имаха пълен брой точки. けっこう大変だと思うのに、彼女はただの一度も泣き言を言わない
1-3.
「ただ+動詞連用形+「に」+動詞」の形で]
もっぱらその行為をするさま。ひたすら。единствено и само (това правя)
ただ泣きに泣く/走りに走る
2.
前に述べたことについて、留保・注釈・条件などを付け加える語。前述の事柄に対して、条件をつけたりその一部を保留したりするときに用いる。ただし。もっとも。обаче; само че
品質はいいと思う。ただ少し高すぎる。Мисля, че е с добро качество; обаче е малко прекалено скъпо. 出かけてもいい。ただ、昼までには帰るように。Можеш да излезеш. Само че, до обяд да се прибереш.

→一《いつ》に・僅僅《きんきん》・だが・たかだか・但し・啻《ただ》に・たった・単《たん》に・とは言え・偏《ひとえ》に・ひたすら・尤《もっと》も・専《もっぱ》ら・わずか

用例

1-1.
間數玄關まで入れて手狹なれども吹とほし風入りよく廣々として植込木立茂ければ住居うつてつけ見えて場處小石川植物園ちかく物靜なれば少し不便にしてにはなき貸家ありけりはりしより大凡《おほよそ》ごしにも成けれどいまだに住人《すみて》さだまらでなきいと空しくなびく淋しかりき何處までも奇麗にて見こみ好ければうちには二人三人拜見とて來るもの無きにはあらねど敷金家賃三十限り取たてにて五十といふ夫れ下町相場とて折かへして來る無かりきさるほどに此ほど朝まだき四十近かるべき年輩《としごろ》紡績浴衣《ゆかた》少しさめたる着て至極そゝくさと落つき無き差配もと來たりて見たしといふ案内して其處此處戸棚など見せてあるく其等こと片耳にも入れで四邊《あたり》靜にさわやかなる喜び今日より直にお借り申まする敷金唯今置いて參りまして引越し夕暮いかにも急速で御座ります直樣掃除かゝりたう御座りますとて何の子細なく約束とゝのひぬ職業問へばいゑ別段これといふ御座りませぬとて至極曖昧答へなり人數聞かれて何だか四五御座ります七八にも成ります始終《とほし》ごたごたして御座りませぬといふ妙な思ひし掃除すみて日暮れがた引移り來たりし相乘りかけ姿つゝみて開きたる眞直に入りて玄關おろしければには見えじ思ひしげなれど乘り居たる三十利きし女中一人十八には未だ思はるゝやう病美人にも手足にも血の氣といふもの少しもなく透きとほるやうに蒼白きいたましく見えて折から世話やき來て居たりし差配此人《これ》先刻《さき》そそくさ受とられぬ思ひぬ
樋口一葉「うつせみ」1895、冒頭)
の如く近來和歌一向に振ひ不申正直に申し候へば萬葉以來實朝以來一向に振ひ不申實朝といふ三十にも足らでいざ是からといふにてあへなき最期遂げられ誠に殘念致しあの人をして十年活かして置いたならどんなに名歌澤山殘したかも知れ不申兎に角に第一流歌人強ち人丸赤人餘唾《よだ》舐《ねぶ》るでも無く固より貫之定家糟粕しやぶるでも無く自己本量ママ屹然として山嶽高き爭ひ日月競ふ實に畏るべく尊むべく覺えず膝を屈する思ひ有之古來凡庸評し來りし必ずなるべく北條憚りて韜晦せしさらずば大器晩成なりし覺え立つにて文學技藝達したらん人間としては下等居る通例なれども實朝全く例外相違無之何故申す實朝器用といふのでは無く力量あり見識あり威勢あり時流染まず世間媚びざる例の物數奇連中死に歌よみ公卿迚も同日には論じ難く人間として立派な見識ある人間ならでは實朝如きある詠みいでられまじく眞淵極めて實朝ほめたなれども眞淵ほめ方まだ足らぬやうに眞淵實朝妙味半面知りて半面知らざりし故に可有之
正岡子規歌よみに与ふる書」1898、冒頭)
早稲田移ってからだんだん瘠せて来たいっこうに小供遊ぶ気色ない当る縁側寝ている前足揃えたに、四角載せてじっと植込眺めたままいつまでも動く様子見えない小供いくらその騒いでも知らぬ顔している小供でも初めから相手しなくなったこのとても遊び仲間できない云わんばかりに、旧友他人扱いしている小供のみではない下女ただ三度食《めし》を、台所置いてやるだけそのほかには、ほとんど構いつけなかったしかもそのたいてい近所いる大きな三毛猫来て食ってしまった別に怒る様子なかった喧嘩するところ見た試しないただじっとして寝ていたしかしそのどことなく余裕《ゆとり》ない伸んびり楽々とに、日光領しているのと違って動くべきせきないために――これでは、まだ形容足りない來懶《ものう》さあるまで通り越して動かなければ淋しいが、動くなお淋しいので我慢してじっと辛抱しているように見えたその眼つきは、いつでも植込見ているが、彼れおそらく木の葉も、意識していなかったのだろう青味がかった黄色い瞳子《ひとみ》を、ぼんやり一と所《ひとところ》落ちつけているのみである彼れ家《うち》小供から存在認められぬように自分でも世の中存在判然《はっきり》と認めていなかったらしいОткакто се преместихме във Васеда, котката постепенно отслабна. Непоказва ни най-малък признак на желание да играе с децата. Когато слънцето напича, се излежава на тясната дъсчена верандичка. Поставил четвъртитата си брадичка върху събраните си предни крачета и вперил поглед в гъстълака в двора, без какъвто и да е признак на движение. Колкото и децата да вдигат врява наоколо му, прави се, че не ги забелязва. А и те също, още от началото спряха да му обръщат внимание. С тази котка не може да се играе – само дето не казват и се отнасят към стария си приятел като към непознат. И не само децата; прислужницата, освен дето по 3 пъти на ден му оставяше храна в ъгълчето на кухнята, почти въобще не му обръщаше внимание. При това, тази храна в повечето случаи идваше и я изяждаше една голяма шарена котка на бели, черни и кафяви петна, която се навърташе в района около нас. Нашата котка нямаше вид да се сърди особено. Изглеждаше сякаш достигнал вече някъде отвъд предела на апатичност и безразличие, нещастатен е, когато не помръдва, като че ли нещо му липсва, ала още по-нещастен е, когато се раздвижи и затова се сдържа, търпи безропотно. Погледът му бе всякога отправен към гъстълака в двора, ала той навярно не осъзнаваше нито листата на дърветата, нито формата на стволовете им. Просто вяло е спрял жълто-зеленикавите си очи върху една точка. Така както съществуването му бе пренебрегвано от децата и той самият също изглежда не възприемаше ясно съществуващото в света около себе си.
夏目漱石「猫の墓」『永日小品』1909、冒頭)
まだもらっばかりよめ勝手その呼んでただ支度出来問うた。よめすぐに起って勝手からかねて用意てあっ杯盤自身運んでた。よめ同じようにきょう切腹するということとうから知ってた。綺麗撫でつけてよいふだん着着換えている。よめ改まった、真面目している同じことであるが、ただよめ赤くなっているので勝手とき泣いことわかる
森鷗外阿部一族」1913)
弥一右衛門はほか言いつけられすることを、言いつけられずにするほか申し上げてすること申し上げずにするしかしすることいつも肯綮にあたっていて間然べきところがない。弥一右衛門は意地ばかり奉公して行くようになっている。忠利は初めなんとも思わずにただこの見ると、反対たくなったのだのちにはこの意地勤めるのを知って憎い思った憎い思いながら聡明な忠利はなぜ弥一右衛門がそうなった回想てみてそれ自分しむけたのだということ気がついたそして自分反対する改めよう思ってながらかさなりかさなるしたがってそれ次第に改めにくくなった
森鷗外阿部一族」1913)
そのうち五月六日来て十八もの殉死した熊本ただそのばかりであるなんと言って死んだ死にようよりも見事であったというほかには、なんのない
森鷗外阿部一族」1913)
元慶か、仁和あつたであらうどちらにしても時代さしてこの大事を、勤めてゐない読者平安朝云ふ遠い背景なつてゐる云ふを、知つてさへゐてくれればよいのである。――その頃摂政藤原基経仕へてゐるに、云ふ五位あつた
芥川龍之介芋粥」1916、冒頭)
1-2.
このあいびき先年仏蘭西《フランス》死去した露国では有名な小説家ツルゲーネフという端物《はもの》です今度徳富先生依頼訳してみました訳文我ながら不思議とソノ何んだこれでも原文きわめておもしろいです
九月中旬というころ一日自分さる座していたことあッた今朝から小雨降りそそぎその晴れ間にはおりおり生ま煖《あたた》かな日かげ射してまことに気まぐれな空ら合いあわあわしい白ら雲空ら一面棚引くかと思うとフトまたあちこち瞬く間雲切れしてむりに押し分けたような雲間から澄みて怜悧《さか》し気《げ》に見えるごとくに朗《ほがら》かに晴れた蒼空のぞかれた自分座して四顧してそして傾けていた木の葉頭上幽《かす》かに戦《そよ》いだその聞たばかりでも季節知られたそれ春先するおもしろそうな笑うようなさざめきでもなくゆるやかなそよぎでもなく永たらしい話し声でもなくまたおどおどしたうそさぶそうなお饒舌《しゃべ》りでもなかッたただようやく聞取れる聞取れぬほどしめやかな私語であったそよ吹く忍ぶように木末伝ッた照る曇るじめつくようす間断なく移り変ッたあるいはそこありとあるすべて一時微笑したように隈なくあかみわたッてさのみ繁くないほそぼそとした思いがけず白絹めくやさしい光沢《つや》帯び地上散り布《し》いた細かな落ち葉にわかに映じてまばゆきまでに金色《こんじき》放ち頭《かしら》かきむしッたような「パアポロトニク」(類いみごとなしかも熟《つ》えすぎた葡萄めく帯びた際限なくもつれからみして目前透かして見られた
ツルゲーネフ作・二葉亭四迷訳「あひびき」1888、冒頭)
言語は、すべて一定音《おん》一定意味結合して成立つものであって言語外形なし意味その内容成しているのであるかような言語外形成すは、どんなになっているかを考えて見る箇々単語ような意味有する言語単位は、その種々様々であってこれによって一つ一つ違った意味有する種々単語区別して示しているのであるが、その姿を、それ自身として観察してみると、一定単位から成立っているのであってかような単位が、或る場合にはただ一つで、或る場合にはいくつか組合わされて意味有する箇々言語単位種々様々な外形形づくっているのであるかような言語外形形づくる基本なる単位は、国語においては、例えば現代語の「あたま(頭)」はア・タ・マの三つ、「かぜ(風)」はカ・ゼの二つ、「すこし(少)」はス・コ・シの三つ、「ろ(櫓)」や「を(尾)」はそれぞれ又はオの一つから成立っている
橋本進吉(1882-1945)「国語音韻の変遷」冒頭)
今日人間幸福について殆ど考へないやうである試みに近年現はれた倫理學とりわけ我が國書かれた倫理開いて見たまへ一個所幸福問題取扱つてゐない書物發見すること諸君にとつて甚だ容易であらうかやうな書物倫理信じてよいのかどうかその著者倫理學者認めるべきであるのかどうかにはわからない疑ひなく確かなこと過去すべて時代においてつねに幸福倫理中心問題であつたといふことであるギリシア古典的な倫理學さうであつたストア嚴肅主義如き幸福ために節欲説いたのでありキリスト教においてアウグスティヌスパスカルなど人間どこまでも幸福求めるといふ事實根本として彼等宗教論倫理學出立したのである幸福について考へないこと今日人間特徴である現代における倫理混亂種々に論じられてゐる倫理から幸福論喪失したといふことこの混亂代表する事實である新たに幸福論設定されるまで倫理混亂救はれないであらう
三木清「幸福について」『人生論ノート』1941、冒頭)
1-3.
馬のうへにてただねぶりにねぶりて
松尾芭蕉更科紀行」1688-89)
早稲田移ってからだんだん瘠せて来たいっこうに小供遊ぶ気色ない当る縁側寝ている前足揃えたに、四角載せてじっと植込眺めたままいつまでも動く様子見えない小供いくらその騒いでも知らぬ顔している小供でも初めから相手しなくなったこのとても遊び仲間できない云わんばかりに、旧友他人扱いしている小供のみではない下女ただ三度食《めし》を、台所置いてやるだけそのほかには、ほとんど構いつけなかったしかもそのたいてい近所いる大きな三毛猫来て食ってしまった別に怒る様子なかった喧嘩するところ見た試しないただじっとして寝ていたしかしそのどことなく余裕《ゆとり》ない伸んびり楽々とに、日光領しているのと違って動くべきせきないために――これでは、まだ形容足りない來懶《ものう》さあるまで通り越して動かなければ淋しいが、動くなお淋しいので我慢してじっと辛抱しているように見えたその眼つきは、いつでも植込見ているが、彼れおそらく木の葉も、意識していなかったのだろう青味がかった黄色い瞳子《ひとみ》を、ぼんやり一と所《ひとところ》落ちつけているのみである彼れ家《うち》小供から存在認められぬように自分でも世の中存在判然《はっきり》と認めていなかったらしい Откакто се преместихме във Васеда, котката постепенно отслабна. Непоказва ни най-малък признак на желание да играе с децата. Когато слънцето напича, се излежава на тясната дъсчена верандичка. Поставил четвъртитата си брадичка върху събраните си предни крачета и вперил поглед в гъстълака в двора, без какъвто и да е признак на движение. Колкото и децата да вдигат врява наоколо му, прави се, че не ги забелязва. А и те също, още от началото спряха да му обръщат внимание. С тази котка не може да се играе – само дето не казват и се отнасят към стария си приятел като към непознат. И не само децата; прислужницата, освен дето по 3 пъти на ден му оставяше храна в ъгълчето на кухнята, почти въобще не му обръщаше внимание. При това, тази храна в повечето случаи идваше и я изяждаше една голяма шарена котка на бели, черни и кафяви петна, която се навърташе в района около нас. Нашата котка нямаше вид да се сърди особено. Изглеждаше сякаш достигнал вече някъде отвъд предела на апатичност и безразличие, нещастатен е, когато не помръдва, като че ли нещо му липсва, ала още по-нещастен е, когато се раздвижи и затова се сдържа, търпи безропотно. Погледът му бе всякога отправен към гъстълака в двора, ала той навярно не осъзнаваше нито листата на дърветата, нито формата на стволовете им. Просто вяло е спрял жълто-зеленикавите си очи върху една точка. Така както съществуването му бе пренебрегвано от децата и той самият също изглежда не възприемаше ясно съществуващото в света около себе си.
夏目漱石「猫の墓」『永日小品』1909、冒頭)
2.
まだもらっばかりよめ勝手その呼んでただ支度出来問うた。よめすぐに起って勝手からかねて用意てあっ杯盤自身運んでた。よめ同じようにきょう切腹するということとうから知ってた。綺麗撫でつけてよいふだん着着換えている。よめ改まった、真面目している同じことであるが、ただよめ赤くなっているので勝手とき泣いことわかる
森鷗外阿部一族」1913)
阿部一族評議このたび先代一週忌法会ために下向してまだ逗留している天祐和尚すがることにした。市太夫和尚旅館往って一部始終話して、権兵衛に対する処置軽減してもらうように頼んだ和尚つくづく聞いて言った承れば一家成行気の毒千万であるしかし政道に対してかれこれ言うことは出来ないただ権兵衛殿死を賜わるなったらきっと助命願って進ぜようことに権兵衛殿すでに《もとどり》払われてみれば桑門同様身の上である助命だけいかようにも申してみようと言った。市太夫頼もしく思って帰った一族もの市太夫復命聞いて一条活路得たような気がしたそのうち立って、天祐和尚帰京とき次第に近づいて来た和尚殿様逢ってするたび阿部権兵衛助命こと折りあったら言上しようと思ったどうしても折りないそれそのはずである。光尚こう思ったのである。天祐和尚逗留権兵衛こと沙汰したらきっと助命請われるに違いない大寺和尚《ことば》でみれば等閑に聞きすてることなるまい和尚立つ待って処置しようと思ったのであるとうとう和尚空しく熊本立ってしまった
森鷗外阿部一族」1913)