ただ(唯・只・但) 副詞・接続詞
15/04/2012 06:06
[副]
1-1.
ある物や事柄に限定され、他は問題にならないことを表す。そのことだけをするさま。それより他にないと限定するさま。もっぱら。ひたすら。само; единствено
ただ君だけが頼りだ。Единствено на теб мога да разчитам. ただ時間ばかりかかってちっとも進まない。Само отнема време, а няма никакъв напредък. 今はただ無事を祈るばかりだ。Сега се моля единствено всичко да е наред. ただ遊んでばかりでは/いては、あとで後悔するよ。Като само се забавляваш, после ще съжаляваш.
1-2.
数量・程度などがごく少ないさま。わずかに。たった。(изрзява, че степен, количество и пр. е малко) само
ただ一つсамо едно ただの100円само 100 йени ただ一目会いたいばかりに何千キロを行く。Пропътувам хиляди километри, за да се видим дори и само вднъж. 満点はただ(の)二人。Само двама души имаха пълен брой точки. けっこう大変だと思うのに、彼女はただの一度も泣き言を言わない
1-3.
もっぱらその行為をするさま。ひたすら。единствено и само (това правя)
ただ泣きに泣く/走りに走る
2.
前に述べたことについて、留保・注釈・条件などを付け加える語。前述の事柄に対して、条件をつけたりその一部を保留したりするときに用いる。ただし。もっとも。обаче; само че
品質はいいと思う。ただ少し高すぎる。Мисля, че е с добро качество; обаче е малко прекалено скъпо. 出かけてもいい。ただ、昼までには帰るように。Можеш да излезеш. Само че, до обяд да се прибереш.
→一《いつ》に・僅僅《きんきん》・だが・たかだか・但し・啻《ただ》に・たった・単《たん》に・とは言え・偏《ひとえ》に・ひたすら・尤《もっと》も・専《もっぱ》ら・わずか
用例
1-1.
仰の如く近來和歌は一向に振ひ不申候。正直に申し候へば萬葉以來實朝以來一向に振ひ不申候。實朝といふ人は三十にも足らでいざ是からといふ處にてあへなき最期を遂げられ誠に殘念致し候。あの人をして今十年も活かして置いたならどんなに名歌を澤山殘したかも知れ不申候。兎に角に第一流の歌人と存候。強ち人丸赤人の餘唾《よだ》を舐《ねぶ》るでも無く固より貫之定家の糟粕をしやぶるでも無く自己の本量[ママ]屹然として山嶽と高きを爭ひ日月と光を競ふ處實に畏るべく尊むべく覺えず膝を屈するの思ひ有之候。古來凡庸の人と評し來りしは必ず誤なるべく北條氏を憚りて韜晦せし人かさらずば大器晩成の人なりしかと覺え候。人を上に立つ人にて文學技藝に達したらん者は人間としては下等の地に居るが通例なれども實朝は全く例外の人に相違無之候。何故と申すに實朝の歌は只器用といふのでは無く力量あり見識あり威勢あり時流に染まず世間に媚びざる處例の物數奇連中や死に歌よみの公卿達と迚も同日には論じ難く人間として立派な見識のある人間ならでは實朝の歌の如き力ある歌は詠みいでられまじく候。眞淵は力を極めて實朝をほめた人なれども眞淵のほめ方はまだ足らぬやうに存候。眞淵は實朝の歌の妙味の半面を知りて他の半面を知らざりし故に可有之候。
(正岡子規「歌よみに与ふる書」1898、冒頭)
早稲田へ移ってから、猫がだんだん瘠せて来た。いっこうに小供と遊ぶ気色がない。日が当ると縁側に寝ている。前足を揃えた上に、四角な顎を載せて、じっと庭の植込を眺めたまま、いつまでも動く様子が見えない。小供がいくらその傍で騒いでも、知らぬ顔をしている。小供の方でも、初めから相手にしなくなった。この猫はとても遊び仲間にできないと云わんばかりに、旧友を他人扱いにしている。小供のみではない、下女はただ三度の食《めし》を、台所の隅に置いてやるだけでそのほかには、ほとんど構いつけなかった。しかもその食はたいてい近所にいる大きな三毛猫が来て食ってしまった。猫は別に怒る様子もなかった。喧嘩をするところを見た試しもない。ただ、じっとして寝ていた。しかしその寝方にどことなく余裕《ゆとり》がない。伸んびり楽々と身を横に、日光を領しているのと違って、動くべきせきがないために――これでは、まだ形容し足りない。來懶《ものう》さの度をある所まで通り越して、動かなければ淋しいが、動くとなお淋しいので、我慢して、じっと辛抱しているように見えた。その眼つきは、いつでも庭の植込を見ているが、彼れはおそらく木の葉も、幹の形も意識していなかったのだろう。青味がかった黄色い瞳子《ひとみ》を、ぼんやり一と所《ひとところ》に落ちつけているのみである。彼れが家《うち》の小供から存在を認められぬように、自分でも、世の中の存在を判然《はっきり》と認めていなかったらしい。Откакто се преместихме във Васеда, котката постепенно отслабна. Непоказва ни най-малък признак на желание да играе с децата. Когато слънцето напича, се излежава на тясната дъсчена верандичка. Поставил четвъртитата си брадичка върху събраните си предни крачета и вперил поглед в гъстълака в двора, без какъвто и да е признак на движение. Колкото и децата да вдигат врява наоколо му, прави се, че не ги забелязва. А и те също, още от началото спряха да му обръщат внимание. С тази котка не може да се играе – само дето не казват и се отнасят към стария си приятел като към непознат. И не само децата; прислужницата, освен дето по 3 пъти на ден му оставяше храна в ъгълчето на кухнята, почти въобще не му обръщаше внимание. При това, тази храна в повечето случаи идваше и я изяждаше една голяма шарена котка на бели, черни и кафяви петна, която се навърташе в района около нас. Нашата котка нямаше вид да се сърди особено. Изглеждаше сякаш достигнал вече някъде отвъд предела на апатичност и безразличие, нещастатен е, когато не помръдва, като че ли нещо му липсва, ала още по-нещастен е, когато се раздвижи и затова се сдържа, търпи безропотно. Погледът му бе всякога отправен към гъстълака в двора, ала той навярно не осъзнаваше нито листата на дърветата, нито формата на стволовете им. Просто вяло е спрял жълто-зеленикавите си очи върху една точка. Така както съществуването му бе пренебрегвано от децата и той самият също изглежда не възприемаше ясно съществуващото в света около себе си.
(夏目漱石「猫の墓」『永日小品』1909、冒頭)
母はまだもらったばかりのよめが勝手にいたのをその席へ呼んでただ支度が出来たかと問うた。よめはすぐに起って、勝手からかねて用意してあった杯盤を自身に運んで出た。よめも母と同じように、夫がきょう切腹するということをとうから知っていた。髪を綺麗に撫でつけて、よい分のふだん着に着換えている。母もよめも改まった、真面目な顔をしているのは同じことであるが、ただよめの目の縁が赤くなっているので、勝手にいたとき泣いたことがわかる。
(森鷗外「阿部一族」1913)
そのうちに五月六日が来て、十八人のものが皆殉死した。熊本中ただその噂ばかりである。誰はなんと言って死んだ、誰の死にようが誰よりも見事であったという話のほかには、なんの話もない。
(森鷗外「阿部一族」1913)
元慶の末か、仁和の始にあつた話であらう。どちらにしても時代はさして、この話に大事な役を、勤めてゐない。読者は唯、平安朝と云ふ、遠い昔が背景になつてゐると云ふ事を、知つてさへゐてくれれば、よいのである。――その頃、摂政藤原基経に仕へてゐる侍の中に、某と云ふ五位があつた。1-2.
このあいびきは先年仏蘭西《フランス》で死去した、露国では有名な小説家、ツルゲーネフという人の端物《はもの》の作です。今度徳富先生の御依頼で訳してみました。私の訳文は我ながら不思議とソノ何んだが、これでも原文はきわめておもしろいです。
秋九月中旬というころ、一日自分がさる樺の林の中に座していたことがあッた。今朝から小雨が降りそそぎ、その晴れ間にはおりおり生ま煖《あたた》かな日かげも射して、まことに気まぐれな空ら合い。あわあわしい白ら雲が空ら一面に棚引くかと思うと、フトまたあちこち瞬く間雲切れがして、むりに押し分けたような雲間から澄みて怜悧《さか》し気《げ》に見える人の眼のごとくに朗《ほがら》かに晴れた蒼空がのぞかれた。自分は座して、四顧して、そして耳を傾けていた。木の葉が頭上で幽《かす》かに戦《そよ》いだが、その音を聞たばかりでも季節は知られた。それは春先する、おもしろそうな、笑うようなさざめきでもなく、夏のゆるやかなそよぎでもなく、永たらしい話し声でもなく、また末の秋のおどおどした、うそさぶそうなお饒舌《しゃべ》りでもなかッたが、ただようやく聞取れるか聞取れぬほどのしめやかな私語の声であった。そよ吹く風は忍ぶように木末を伝ッた。照ると曇るとで、雨にじめつく林の中のようすが間断なく移り変ッた。あるいはそこにありとある物すべて一時に微笑したように、隈なくあかみわたッて、さのみ繁くもない樺のほそぼそとした幹は思いがけずも白絹めく、やさしい光沢《つや》を帯び、地上に散り布《し》いた、細かな、落ち葉はにわかに日に映じてまばゆきまでに金色《こんじき》を放ち、頭《かしら》をかきむしッたような「パアポロトニク」(蕨の類い)のみごとな茎、しかも熟《つ》えすぎた葡萄めく色を帯びたのが、際限もなくもつれつからみつして、目前に透かして見られた。
1-3.
家の間數は三疊敷の玄關までを入れて五間、手狹なれども北南吹とほしの風入りよく、庭は廣々として植込の木立も茂ければ、夏の住居にうつてつけと見えて、場處も小石川の植物園にちかく物靜なれば、少しの不便を疵にして他には申旨のなき貸家ありけり、門の柱に札をはりしより大凡《おほよそ》三月ごしにも成けれど、いまだに住人《すみて》のさだまらで、主なき門の柳のいと、空しくなびくも淋しかりき、家は何處までも奇麗にて見こみの好ければ、日のうちには二人三人の拜見をとて來るものも無きにはあらねど、敷金三月分、家賃は三十日限りの取たてにて七圓五十錢といふに、夫れは下町の相場とて折かへして來るは無かりき、さるほどに此ほどの朝まだき四十に近かるべき年輩《としごろ》の男、紡績織の浴衣《ゆかた》も少し色のさめたるを着て、至極そゝくさと落つき無きが差配のもとに來たりて此家の見たしといふ、案内して其處此處と戸棚の數などを見せてあるくに、其等のことは片耳にも入れで、唯四邊《あたり》の靜にさわやかなるを喜び、今日より直にお借り申まする、敷金は唯今置いて參りまして、引越しは此夕暮、いかにも急速では御座りますが直樣掃除にかゝりたう御座りますとて、何の子細なく約束はとゝのひぬ、お職業はと問へば、いゑ別段これといふ物も御座りませぬとて至極曖昧の答へなり、御人數はと聞かれて、其何だか四五人の事も御座りますし、七八人にも成りますし、始終《とほし》ごたごたして埓は御座りませぬといふ、妙な事のと思ひしが掃除のすみて日暮れがたに引移り來たりしは、相乘りの幌かけ車に姿をつゝみて、開きたる門を眞直に入りて玄關におろしければ、主は男とも女とも人には見えじと思ひしげなれど、乘り居たるは三十計の氣の利きし女中風と、今一人は十八か、九には未だと思はるゝやうの病美人、顏にも手足にも血の氣といふもの少しもなく、透きとほるやうに蒼白きがいたましく見えて、折から世話やきに來て居たりし、差配が心に、此人《これ》を先刻《さき》のそそくさ男が妻とも妹とも受とられぬと思ひぬ。
(樋口一葉「うつせみ」1895、冒頭)仰の如く近來和歌は一向に振ひ不申候。正直に申し候へば萬葉以來實朝以來一向に振ひ不申候。實朝といふ人は三十にも足らでいざ是からといふ處にてあへなき最期を遂げられ誠に殘念致し候。あの人をして今十年も活かして置いたならどんなに名歌を澤山殘したかも知れ不申候。兎に角に第一流の歌人と存候。強ち人丸赤人の餘唾《よだ》を舐《ねぶ》るでも無く固より貫之定家の糟粕をしやぶるでも無く自己の本量[ママ]屹然として山嶽と高きを爭ひ日月と光を競ふ處實に畏るべく尊むべく覺えず膝を屈するの思ひ有之候。古來凡庸の人と評し來りしは必ず誤なるべく北條氏を憚りて韜晦せし人かさらずば大器晩成の人なりしかと覺え候。人を上に立つ人にて文學技藝に達したらん者は人間としては下等の地に居るが通例なれども實朝は全く例外の人に相違無之候。何故と申すに實朝の歌は只器用といふのでは無く力量あり見識あり威勢あり時流に染まず世間に媚びざる處例の物數奇連中や死に歌よみの公卿達と迚も同日には論じ難く人間として立派な見識のある人間ならでは實朝の歌の如き力ある歌は詠みいでられまじく候。眞淵は力を極めて實朝をほめた人なれども眞淵のほめ方はまだ足らぬやうに存候。眞淵は實朝の歌の妙味の半面を知りて他の半面を知らざりし故に可有之候。
(正岡子規「歌よみに与ふる書」1898、冒頭)
早稲田へ移ってから、猫がだんだん瘠せて来た。いっこうに小供と遊ぶ気色がない。日が当ると縁側に寝ている。前足を揃えた上に、四角な顎を載せて、じっと庭の植込を眺めたまま、いつまでも動く様子が見えない。小供がいくらその傍で騒いでも、知らぬ顔をしている。小供の方でも、初めから相手にしなくなった。この猫はとても遊び仲間にできないと云わんばかりに、旧友を他人扱いにしている。小供のみではない、下女はただ三度の食《めし》を、台所の隅に置いてやるだけでそのほかには、ほとんど構いつけなかった。しかもその食はたいてい近所にいる大きな三毛猫が来て食ってしまった。猫は別に怒る様子もなかった。喧嘩をするところを見た試しもない。ただ、じっとして寝ていた。しかしその寝方にどことなく余裕《ゆとり》がない。伸んびり楽々と身を横に、日光を領しているのと違って、動くべきせきがないために――これでは、まだ形容し足りない。來懶《ものう》さの度をある所まで通り越して、動かなければ淋しいが、動くとなお淋しいので、我慢して、じっと辛抱しているように見えた。その眼つきは、いつでも庭の植込を見ているが、彼れはおそらく木の葉も、幹の形も意識していなかったのだろう。青味がかった黄色い瞳子《ひとみ》を、ぼんやり一と所《ひとところ》に落ちつけているのみである。彼れが家《うち》の小供から存在を認められぬように、自分でも、世の中の存在を判然《はっきり》と認めていなかったらしい。Откакто се преместихме във Васеда, котката постепенно отслабна. Непоказва ни най-малък признак на желание да играе с децата. Когато слънцето напича, се излежава на тясната дъсчена верандичка. Поставил четвъртитата си брадичка върху събраните си предни крачета и вперил поглед в гъстълака в двора, без какъвто и да е признак на движение. Колкото и децата да вдигат врява наоколо му, прави се, че не ги забелязва. А и те също, още от началото спряха да му обръщат внимание. С тази котка не може да се играе – само дето не казват и се отнасят към стария си приятел като към непознат. И не само децата; прислужницата, освен дето по 3 пъти на ден му оставяше храна в ъгълчето на кухнята, почти въобще не му обръщаше внимание. При това, тази храна в повечето случаи идваше и я изяждаше една голяма шарена котка на бели, черни и кафяви петна, която се навърташе в района около нас. Нашата котка нямаше вид да се сърди особено. Изглеждаше сякаш достигнал вече някъде отвъд предела на апатичност и безразличие, нещастатен е, когато не помръдва, като че ли нещо му липсва, ала още по-нещастен е, когато се раздвижи и затова се сдържа, търпи безропотно. Погледът му бе всякога отправен към гъстълака в двора, ала той навярно не осъзнаваше нито листата на дърветата, нито формата на стволовете им. Просто вяло е спрял жълто-зеленикавите си очи върху една точка. Така както съществуването му бе пренебрегвано от децата и той самият също изглежда не възприемаше ясно съществуващото в света около себе си.
(夏目漱石「猫の墓」『永日小品』1909、冒頭)
母はまだもらったばかりのよめが勝手にいたのをその席へ呼んでただ支度が出来たかと問うた。よめはすぐに起って、勝手からかねて用意してあった杯盤を自身に運んで出た。よめも母と同じように、夫がきょう切腹するということをとうから知っていた。髪を綺麗に撫でつけて、よい分のふだん着に着換えている。母もよめも改まった、真面目な顔をしているのは同じことであるが、ただよめの目の縁が赤くなっているので、勝手にいたとき泣いたことがわかる。
(森鷗外「阿部一族」1913)
弥一右衛門はほかの人の言いつけられてすることを、言いつけられずにする。ほかの人の申し上げてすることを申し上げずにする。しかしすることはいつも肯綮にあたっていて、間然すべきところがない。弥一右衛門は意地ばかりで奉公して行くようになっている。忠利は初めなんとも思わずに、ただこの男の顔を見ると、反対したくなったのだが、のちにはこの男の意地で勤めるのを知って憎いと思った。憎いと思いながら、聡明な忠利はなぜ弥一右衛門がそうなったかと回想してみて、それは自分がしむけたのだということに気がついた。そして自分の反対する癖を改めようと思っていながら、月がかさなり年がかさなるにしたがって、それが次第に改めにくくなった。
(森鷗外「阿部一族」1913)そのうちに五月六日が来て、十八人のものが皆殉死した。熊本中ただその噂ばかりである。誰はなんと言って死んだ、誰の死にようが誰よりも見事であったという話のほかには、なんの話もない。
(森鷗外「阿部一族」1913)
元慶の末か、仁和の始にあつた話であらう。どちらにしても時代はさして、この話に大事な役を、勤めてゐない。読者は唯、平安朝と云ふ、遠い昔が背景になつてゐると云ふ事を、知つてさへゐてくれれば、よいのである。――その頃、摂政藤原基経に仕へてゐる侍の中に、某と云ふ五位があつた。1-2.
このあいびきは先年仏蘭西《フランス》で死去した、露国では有名な小説家、ツルゲーネフという人の端物《はもの》の作です。今度徳富先生の御依頼で訳してみました。私の訳文は我ながら不思議とソノ何んだが、これでも原文はきわめておもしろいです。
秋九月中旬というころ、一日自分がさる樺の林の中に座していたことがあッた。今朝から小雨が降りそそぎ、その晴れ間にはおりおり生ま煖《あたた》かな日かげも射して、まことに気まぐれな空ら合い。あわあわしい白ら雲が空ら一面に棚引くかと思うと、フトまたあちこち瞬く間雲切れがして、むりに押し分けたような雲間から澄みて怜悧《さか》し気《げ》に見える人の眼のごとくに朗《ほがら》かに晴れた蒼空がのぞかれた。自分は座して、四顧して、そして耳を傾けていた。木の葉が頭上で幽《かす》かに戦《そよ》いだが、その音を聞たばかりでも季節は知られた。それは春先する、おもしろそうな、笑うようなさざめきでもなく、夏のゆるやかなそよぎでもなく、永たらしい話し声でもなく、また末の秋のおどおどした、うそさぶそうなお饒舌《しゃべ》りでもなかッたが、ただようやく聞取れるか聞取れぬほどのしめやかな私語の声であった。そよ吹く風は忍ぶように木末を伝ッた。照ると曇るとで、雨にじめつく林の中のようすが間断なく移り変ッた。あるいはそこにありとある物すべて一時に微笑したように、隈なくあかみわたッて、さのみ繁くもない樺のほそぼそとした幹は思いがけずも白絹めく、やさしい光沢《つや》を帯び、地上に散り布《し》いた、細かな、落ち葉はにわかに日に映じてまばゆきまでに金色《こんじき》を放ち、頭《かしら》をかきむしッたような「パアポロトニク」(蕨の類い)のみごとな茎、しかも熟《つ》えすぎた葡萄めく色を帯びたのが、際限もなくもつれつからみつして、目前に透かして見られた。
(ツルゲーネフ作・二葉亭四迷訳「あひびき」1888、冒頭)
言語は、すべて一定の音《おん》に一定の意味が結合して成立つものであって、音が言語の外形をなし、意味がその内容を成しているのである。かような言語の外形を成す音は、どんなになっているかを考えて見るに、箇々の単語のような、意味を有する言語単位は、その音の形は種々様々であって、これによって、一つ一つ違った意味を有する種々の単語を区別して示しているのであるが、その音の姿を、それ自身として観察してみると、一定の音の単位から成立っているのであって、かような音の単位が、或る場合にはただ一つで、或る場合にはいくつか組合わされて、意味を有する箇々の言語単位の種々様々な外形を形づくっているのである。かような言語の外形を形づくる基本となる音の単位は、国語においては、例えば現代語の「あたま(頭)」はア・タ・マの三つ、「かぜ(風)」はカ・ゼの二つ、「すこし(少)」はス・コ・シの三つ、「ろ(櫓)」や「を(尾)」はそれぞれロ又はオの一つから成立っている。
(橋本進吉(1882-1945)「国語音韻の変遷」冒頭)言語は、すべて一定の音《おん》に一定の意味が結合して成立つものであって、音が言語の外形をなし、意味がその内容を成しているのである。かような言語の外形を成す音は、どんなになっているかを考えて見るに、箇々の単語のような、意味を有する言語単位は、その音の形は種々様々であって、これによって、一つ一つ違った意味を有する種々の単語を区別して示しているのであるが、その音の姿を、それ自身として観察してみると、一定の音の単位から成立っているのであって、かような音の単位が、或る場合にはただ一つで、或る場合にはいくつか組合わされて、意味を有する箇々の言語単位の種々様々な外形を形づくっているのである。かような言語の外形を形づくる基本となる音の単位は、国語においては、例えば現代語の「あたま(頭)」はア・タ・マの三つ、「かぜ(風)」はカ・ゼの二つ、「すこし(少)」はス・コ・シの三つ、「ろ(櫓)」や「を(尾)」はそれぞれロ又はオの一つから成立っている。
今日の人間は幸福について殆ど考へないやうである。試みに近年現はれた倫理學書、とりわけ我が國で書かれた倫理の本を開いて見たまへ。只の一個所も幸福の問題を取扱つてゐない書物を發見することは諸君にとつて甚だ容易であらう。かやうな書物を倫理の本と信じてよいのかどうか、その著者を倫理學者と認めるべきであるのかどうか、私にはわからない。疑ひなく確かなことは、過去のすべての時代においてつねに幸福が倫理の中心問題であつたといふことである。ギリシアの古典的な倫理學がさうであつたし、ストアの嚴肅主義の如きも幸福のために節欲を説いたのであり、キリスト教においても、アウグスティヌスやパスカルなどは、人間はどこまでも幸福を求めるといふ事實を根本として彼等の宗教論や倫理學を出立したのである。幸福について考へないことは今日の人間の特徴である。現代における倫理の混亂は種々に論じられてゐるが、倫理の本から幸福論が喪失したといふことはこの混亂を代表する事實である。新たに幸福論が設定されるまでは倫理の混亂は救はれないであらう。
(三木清「幸福について」『人生論ノート』1941、冒頭)1-3.
馬のうへにてただねぶりにねぶりて
(松尾芭蕉「更科紀行」1688-89)
早稲田へ移ってから、猫がだんだん瘠せて来た。いっこうに小供と遊ぶ気色がない。日が当ると縁側に寝ている。前足を揃えた上に、四角な顎を載せて、じっと庭の植込を眺めたまま、いつまでも動く様子が見えない。小供がいくらその傍で騒いでも、知らぬ顔をしている。小供の方でも、初めから相手にしなくなった。この猫はとても遊び仲間にできないと云わんばかりに、旧友を他人扱いにしている。小供のみではない、下女はただ三度の食《めし》を、台所の隅に置いてやるだけでそのほかには、ほとんど構いつけなかった。しかもその食はたいてい近所にいる大きな三毛猫が来て食ってしまった。猫は別に怒る様子もなかった。喧嘩をするところを見た試しもない。ただ、じっとして寝ていた。しかしその寝方にどことなく余裕《ゆとり》がない。伸んびり楽々と身を横に、日光を領しているのと違って、動くべきせきがないために――これでは、まだ形容し足りない。來懶《ものう》さの度をある所まで通り越して、動かなければ淋しいが、動くとなお淋しいので、我慢して、じっと辛抱しているように見えた。その眼つきは、いつでも庭の植込を見ているが、彼れはおそらく木の葉も、幹の形も意識していなかったのだろう。青味がかった黄色い瞳子《ひとみ》を、ぼんやり一と所《ひとところ》に落ちつけているのみである。彼れが家《うち》の小供から存在を認められぬように、自分でも、世の中の存在を判然《はっきり》と認めていなかったらしい。 Откакто се преместихме във Васеда, котката постепенно отслабна. Непоказва ни най-малък признак на желание да играе с децата. Когато слънцето напича, се излежава на тясната дъсчена верандичка. Поставил четвъртитата си брадичка върху събраните си предни крачета и вперил поглед в гъстълака в двора, без какъвто и да е признак на движение. Колкото и децата да вдигат врява наоколо му, прави се, че не ги забелязва. А и те също, още от началото спряха да му обръщат внимание. С тази котка не може да се играе – само дето не казват и се отнасят към стария си приятел като към непознат. И не само децата; прислужницата, освен дето по 3 пъти на ден му оставяше храна в ъгълчето на кухнята, почти въобще не му обръщаше внимание. При това, тази храна в повечето случаи идваше и я изяждаше една голяма шарена котка на бели, черни и кафяви петна, която се навърташе в района около нас. Нашата котка нямаше вид да се сърди особено. Изглеждаше сякаш достигнал вече някъде отвъд предела на апатичност и безразличие, нещастатен е, когато не помръдва, като че ли нещо му липсва, ала още по-нещастен е, когато се раздвижи и затова се сдържа, търпи безропотно. Погледът му бе всякога отправен към гъстълака в двора, ала той навярно не осъзнаваше нито листата на дърветата, нито формата на стволовете им. Просто вяло е спрял жълто-зеленикавите си очи върху една точка. Така както съществуването му бе пренебрегвано от децата и той самият също изглежда не възприемаше ясно съществуващото в света около себе си.
(夏目漱石「猫の墓」『永日小品』1909、冒頭)
2.
母はまだもらったばかりのよめが勝手にいたのをその席へ呼んでただ支度が出来たかと問うた。よめはすぐに起って、勝手からかねて用意してあった杯盤を自身に運んで出た。よめも母と同じように、夫がきょう切腹するということをとうから知っていた。髪を綺麗に撫でつけて、よい分のふだん着に着換えている。母もよめも改まった、真面目な顔をしているのは同じことであるが、ただよめの目の縁が赤くなっているので、勝手にいたとき泣いたことがわかる。
(森鷗外「阿部一族」1913)
阿部一族は評議の末、このたび先代一週忌の法会のために下向して、まだ逗留している天祐和尚にすがることにした。市太夫は和尚の旅館に往って一部始終を話して、権兵衛に対する上の処置を軽減してもらうように頼んだ。和尚はつくづく聞いて言った。承れば御一家のお成行気の毒千万である。しかし上の御政道に対してかれこれ言うことは出来ない。ただ権兵衛殿に死を賜わるとなったら、きっと御助命を願って進ぜよう。ことに権兵衛殿はすでに髻《もとどり》を払われてみれば、桑門同様の身の上である。御助命だけはいかようにも申してみようと言った。市太夫は頼もしく思って帰った。一族のものは市太夫の復命を聞いて、一条の活路を得たような気がした。そのうち日が立って、天祐和尚の帰京のときが次第に近づいて来た。和尚は殿様に逢って話をするたびに、阿部権兵衛が助命のことを折りがあったら言上しようと思ったが、どうしても折りがない。それはそのはずである。光尚はこう思ったのである。天祐和尚の逗留中に権兵衛のことを沙汰したらきっと助命を請われるに違いない。大寺の和尚の詞《ことば》でみれば、等閑に聞きすてることはなるまい。和尚の立つのを待って処置しようと思ったのである。とうとう和尚は空しく熊本を立ってしまった。
(森鷗外「阿部一族」1913)
(松尾芭蕉「更科紀行」1688-89)
早稲田へ移ってから、猫がだんだん瘠せて来た。いっこうに小供と遊ぶ気色がない。日が当ると縁側に寝ている。前足を揃えた上に、四角な顎を載せて、じっと庭の植込を眺めたまま、いつまでも動く様子が見えない。小供がいくらその傍で騒いでも、知らぬ顔をしている。小供の方でも、初めから相手にしなくなった。この猫はとても遊び仲間にできないと云わんばかりに、旧友を他人扱いにしている。小供のみではない、下女はただ三度の食《めし》を、台所の隅に置いてやるだけでそのほかには、ほとんど構いつけなかった。しかもその食はたいてい近所にいる大きな三毛猫が来て食ってしまった。猫は別に怒る様子もなかった。喧嘩をするところを見た試しもない。ただ、じっとして寝ていた。しかしその寝方にどことなく余裕《ゆとり》がない。伸んびり楽々と身を横に、日光を領しているのと違って、動くべきせきがないために――これでは、まだ形容し足りない。來懶《ものう》さの度をある所まで通り越して、動かなければ淋しいが、動くとなお淋しいので、我慢して、じっと辛抱しているように見えた。その眼つきは、いつでも庭の植込を見ているが、彼れはおそらく木の葉も、幹の形も意識していなかったのだろう。青味がかった黄色い瞳子《ひとみ》を、ぼんやり一と所《ひとところ》に落ちつけているのみである。彼れが家《うち》の小供から存在を認められぬように、自分でも、世の中の存在を判然《はっきり》と認めていなかったらしい。 Откакто се преместихме във Васеда, котката постепенно отслабна. Непоказва ни най-малък признак на желание да играе с децата. Когато слънцето напича, се излежава на тясната дъсчена верандичка. Поставил четвъртитата си брадичка върху събраните си предни крачета и вперил поглед в гъстълака в двора, без какъвто и да е признак на движение. Колкото и децата да вдигат врява наоколо му, прави се, че не ги забелязва. А и те също, още от началото спряха да му обръщат внимание. С тази котка не може да се играе – само дето не казват и се отнасят към стария си приятел като към непознат. И не само децата; прислужницата, освен дето по 3 пъти на ден му оставяше храна в ъгълчето на кухнята, почти въобще не му обръщаше внимание. При това, тази храна в повечето случаи идваше и я изяждаше една голяма шарена котка на бели, черни и кафяви петна, която се навърташе в района около нас. Нашата котка нямаше вид да се сърди особено. Изглеждаше сякаш достигнал вече някъде отвъд предела на апатичност и безразличие, нещастатен е, когато не помръдва, като че ли нещо му липсва, ала още по-нещастен е, когато се раздвижи и затова се сдържа, търпи безропотно. Погледът му бе всякога отправен към гъстълака в двора, ала той навярно не осъзнаваше нито листата на дърветата, нито формата на стволовете им. Просто вяло е спрял жълто-зеленикавите си очи върху една точка. Така както съществуването му бе пренебрегвано от децата и той самият също изглежда не възприемаше ясно съществуващото в света около себе си.
(夏目漱石「猫の墓」『永日小品』1909、冒頭)
2.
母はまだもらったばかりのよめが勝手にいたのをその席へ呼んでただ支度が出来たかと問うた。よめはすぐに起って、勝手からかねて用意してあった杯盤を自身に運んで出た。よめも母と同じように、夫がきょう切腹するということをとうから知っていた。髪を綺麗に撫でつけて、よい分のふだん着に着換えている。母もよめも改まった、真面目な顔をしているのは同じことであるが、ただよめの目の縁が赤くなっているので、勝手にいたとき泣いたことがわかる。
(森鷗外「阿部一族」1913)
阿部一族は評議の末、このたび先代一週忌の法会のために下向して、まだ逗留している天祐和尚にすがることにした。市太夫は和尚の旅館に往って一部始終を話して、権兵衛に対する上の処置を軽減してもらうように頼んだ。和尚はつくづく聞いて言った。承れば御一家のお成行気の毒千万である。しかし上の御政道に対してかれこれ言うことは出来ない。ただ権兵衛殿に死を賜わるとなったら、きっと御助命を願って進ぜよう。ことに権兵衛殿はすでに髻《もとどり》を払われてみれば、桑門同様の身の上である。御助命だけはいかようにも申してみようと言った。市太夫は頼もしく思って帰った。一族のものは市太夫の復命を聞いて、一条の活路を得たような気がした。そのうち日が立って、天祐和尚の帰京のときが次第に近づいて来た。和尚は殿様に逢って話をするたびに、阿部権兵衛が助命のことを折りがあったら言上しようと思ったが、どうしても折りがない。それはそのはずである。光尚はこう思ったのである。天祐和尚の逗留中に権兵衛のことを沙汰したらきっと助命を請われるに違いない。大寺の和尚の詞《ことば》でみれば、等閑に聞きすてることはなるまい。和尚の立つのを待って処置しようと思ったのである。とうとう和尚は空しく熊本を立ってしまった。
(森鷗外「阿部一族」1913)
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