ところ(所・処) 名詞・形式名詞

15/10/2017 19:42

アクセント:ところ
1.

空間的な位置・場所。人や物が存在する場所。
1-1.

或る地点。また、その辺り。
遠いところから飛んできた渡り鳥 この道をまっすぐ行ったところに駅がある ドアのところに立って写真を撮る 時と所を考えて振舞う
1-2.

或る/その地域。地方。
ところの人に尋ねる ところ変われば品変わる
1-3.

住んでいる場所。住所。居所。
所番地 おところとお名前を教えてください 書類にところと名前を書き込む 所払い
1-4.

家庭・会社・地域など、所属している社会・組織・集団。
兄のところは五人家族だ あなたのところではこういう場合どうしていますか 知り合いのところに発注する 私のところでは違うやり方をする
1-5.

或る箇所。部分。
口の横のところににきびができた
1-6.

その者が所有している領地。
1-7.

都から離れたいなか。在所。
1-8.

「蔵人《くろうど》所」「武者所」などの
2.

抽象的な事柄についての場所・位置・場面・範囲。多く、
連体修飾語によって限定される場所や部分をいう。
2-1.

ふさわしい部署・地位・立場。

職場でところを得る ところを得た人事配置

2-2.

時間の流れの中の或る部分を漠然と指す。場面。局面。段階。

今のところは心配がない/おとなしい 今日のところはこれぐらいにしておく 今日のところは許してあげるけど すんでのところで助かった

2-3.
連体修飾語を受けて用いる。]
2-3-1.

ちょうど何かをしようとする/している/したばかりの場面・状況であることを表す。ちょうどその時。ほかならぬその時点や場合。際。おり。

食べる/食べている/食べたところです 寝ようとする/したところに電話があった 彼女は今し方外出したところだ 映画館に行ったら、ちょうど始まるところだった

2-3-2.

特定の状況における事態を表す。場合。

彼がお年寄りを手助けしているところを見かけたところがあるよ 普通の人間なら怒り出すところだが、彼女はよく辛抱した

2-3-3.

抽象的な箇所を表す。点。箇所。部分。

悪いところを直して良いところを伸ばす 粋なところのある人 あの役者は決して見栄えのする容貌ではないのだが、どこか人を惹きつけるところがある 大事なところだけをかいつまんで話す

2-3-4.

そこに示されている内容・範囲・程度のことであることを表す。事柄。内容。こと。範囲。程度。

聞く/小耳に挟んだところによると 私の調べたところではそんな事実はない 自分の信ずるところを述べる/貫く 思うところあって辞職する 駅までゆっくり歩いて30分といったところかな

2-4.

[数量を
表す格助詞」が付いを受けて。]
そのぐらいの程度であることを表す。くらい。

電車が30分がところ遅れた パチンコで3000円がところ負けた

3.

形式名詞
漢文の「為A所B」を「AのBするところとなる」と訓読したことから。近代では西洋語の関係代名詞の翻訳にも用いられるようになった。
用言付き、多く格助詞」を介して「…ところの」の形で、連体修飾語を作る。]
前に置かれた語句が示す行為の対象であることを表す。

彼女の目指すところの理想ははるかに高い よく世に知られているところの画家 かつて訪れたところの街 それは近所の噂になり、徐々に人の知る/世人の称賛するところとなった

4.

[「
どころ」ので。]
4-1.

動詞連用形付いて。]
その動作の行われる場所や部分、またその対象となる部分や、その動作をするのによい場所や部分、そうすべき場所や部分を表す。

心のよりどころ 見所のある若者 つかみ所のない人物 噂の出所を探る ここが命の捨て所

4-2.

名詞付いて。]
それがたくさんとれる、名産となっているところを表す。

米どころ 茶どころ

4-3.

名詞形容詞形容動詞語幹付いて。]
それに該当する人たちの意を表す。

中堅どころが脇を固めるいい映画 きれいどころを集めて騒ぐ

4-4.

名詞付いて。]
それを扱う 場所・役所を表す。

御息所《みやすんどころ》 台盤所《だいばんどころ》 大歌所《おおうたどころ》 蔵人所《くろうどどころ》 武者所《むしゃどころ》

5.

[「…したところ」の
接続助詞的に用いて。形式名詞「ところ」から。接続助詞とする説もある。]
上述した内容を条件として文を続ける。順接にも逆接にも用いる。→ところが
彼に聞いたところ、そんな話は聞いていないとのことだった 訪ねたところ、不在だった

→帰する所・此処の所・十指の指す所・十目《じゅうもく》の視《み》る所十手《じっしゅ》の指す所・
とこ(所・処)ところが・所構わず・所変われば品変わる・ところで[接続助詞]ところで[接続詞]・ところに・所に付く・所により・ところへ・所へ持ってきて・ところを・所を得る・早い所・日没する処

用例

馬鹿孤ならず必ず有り寄るたま寄る」――平賀源内大田南畝漢詩集寝惚先生文集こんなふう書いた原文漢文)。「孤ならず必ず有りある孤立しない必ず同じ有徳出てこれ助ける論語語るところパロディあるあつまるだろう馬鹿もまたあつまる天明文化賢人ならぬ馬鹿寄りあつまって出来た文化という達見であった
(田中優子「「つくる江戸十八世紀--行動本草学から落語まで」『江戸想像力1986冒頭
1-1.
「ところ(所・処)」1-1.用例
1-1.2-3-1.2-3-2.
  五六寄って火鉢囲みながらしていると、突然一人青年来た聞かず会った事もない全く未知である紹介状携えずに取次通じて面会求めるので座敷招じたら青年大勢いるへ、山鳥提げて這入って来た初対面挨拶済むと、その山鳥真中出してから届きましたからといってそれ当座贈物した
夏目漱石「山鳥」『永日小品』1909、冒頭
1-2.
 
あっち出るでしてまあ相場ざっとぐらいもんでしょうかねそれこっち持って来ると、一円五十するんですそれでちょうど向ういた時分でしたが、から八百ばかり注文ありました旨く行く一升以上つくんですからさっそくやりました八百拵えて自分いっしょまで持って行くと、――なに相手支那で、本国送り出すんでさあすると支那出て来て宜しい云うからもう済んだのか思うと、高さ一間あろう云う大きな持ち出してそのどんどん汲み込ませるんです。――いえ何のためにもいっこう分らなかったんで何しろ大きなですから張るんだって容易なこっちゃありませんかれこれ半日かかっちまいましたそれからするかと思って見ていると、例の俵《ひょう》ほどいてどんどん放り込むんです。――実に驚いたが、支那てえ本当に食えないもん後《あと》なってようやく気がついたんです打《ぶ》ち込むたしかな尋常に沈みますが、食っただけみんな浮いちまうんですそれ支那野郎しゃくってペケって俵《ひょう》目方から引いてしまうんだからたまりません傍《そば》見ていてはらはらしました何しろ七分通り入《い》ってんだから弱りました大変なでさあ。――食ったんですか。いまいましいからみんな打遣って来ました支那ですからやっぱり知らん顔してしておおかた本国送ったでげしょう
夏目漱石「儲口」『永日小品』1909、冒頭
1-3.
 
劇烈な三面記事を、写真版して引き伸ばしたような小説を、のべつに五六読んだら全く厭になった食っていても生活難といっしょに胃の腑まで押し寄せて来そうでならない張ればせっぱ詰っていかにも苦しいそこで帽子被って空谷子《くうこくし》の行ったこの空谷子と云うのはこういうに、話しするのに都合よく出来上った哲学者みたような占者《うらないしゃ》みたような妙なである
夏目漱石「金」『永日小品』1909、冒頭
1-3.1-4.
 越後三条生れなり兼ねたり伯父春庵とて医師なりよりは伯父愛せられて幼きより手習学問こと皆な伯父世話なりし自ら言う異ななれど物覚えよく聞て二三知るほどなりしゆえ伯父なお入れてこのこそ穂垂という苗字知らせまたその生国としてこのをも挙るものなれとていよいよ珍重して教えられ逢えばその吹聴さるる嬉しき思いますます学問入れしゆえ神童言われ十三小学校助教なれり名誉伯父面目ためには三条町幅狭きようにてこのばかりか近郷褒め草ある県令学校巡廻あり講義聴かれて天晴慧しきかなこれまで巡廻せし学校生徒うち比べるなし校長語られたりこの洩れ聞きてさてはこの冠たるのみならず新潟県下第一俊傑なりしこの県下第一ならば全国英雄集まる東京出るとも第二流には落つまじ俄かに気強くなりて密かに我と握りて打笑みたりこの頃考えには学者政治家などという区別考えなく豪傑英雄というのみにはありしなりさりければなおさらに学問励み新たに来る教師には難問かけて閉口させにはにも伯父にも開かせぬなり十五新潟出て英学せし教師教うるところ低くして満足せず八大家文読み論語さえ講義天下経綸せんとするオメオメと持つ持つ風船乗ってしつつ廻るのと児戯に類する学ばんや東京出でばかかるあるまじ深淵あらねば潜れず東京出て我が才識研ぎ驚かすほど大功業建てる天下第一大学者ならん一詩のこして新潟学校去り在所かえりて伯父出京語りし伯父顰め、「東京にて勉学望むところなりしかしまだ早し卑近なりとて知り覚ゆるだけ方便なり二三新潟にて英学なしその上にて東京出でよ学問にはよらじ上磨きだけ東京にてせよ止められ屈して一年独学したれどはしる如き出京志し弱き手綱繋ぐべきにあらず十七なりし決して伯父乞いもし許されずは出奔せん覚悟様子それ悟りて左まで思わば出京せよ許可得たり
饗庭篁村良夜」1889、冒頭
1-4.
 数馬
こう思う矢も楯もたまらないそこで妻子には阿部討手仰せつけられただけ手短に言い聞かせて一人ひたすら支度急いだ殉死したたち安堵してつくという心持ちでいたのに、数馬心持ち苦痛逃れるために急ぐのである乙名徳右衛門事情察して主人同じ決心したほかには一家うち数馬心底汲み知ったものない今年二十一なる数馬ところ去年来たばかりまだらしい女房当歳女の子抱いてうろうろしているばかりである
森鷗外阿部一族」1913)

 
たしか長春ホテルであつたと思ふそのから聞いたしかしそれそのとしてではなしにその長春事務所長してゐる出た時に、B画家らしいのんきな調子莞爾《にこにこ》と笑ひながら言つたのであつた。「、Sさんあゝいふ堅いしてゐるけれどもあれ中々隅に置けないんです
さう?」かう言つたには五十近いそれでゐて非常に若くつくつてゐる頭髪綺麗にわけた浮んだ
つい此間まで大連本社庶務課長してゐたんだが?」
庶務課長! Sさん――? それぢや、Yやつてゐる?」
さうだあそこ行つて見ました。Sあそこつい半年ほどまでゐたんですそのあと行つたんです
庶務課長から此処事務所長では左遷です?」
まアさういふわけです。S好いですけれどもそれ親切で趣味深くつてことわかるなどには非常にいゝなんですけれど――」B少し途切れて、「それ庶務課行くあの《へや》タイピストあるでせう?」
……」
あのゐるぢやないですけれども。Sさんそのタイピスト可愛がつてたうとう孕ませて了つたもんですから?」
ふむ?」いくらか眼を睜《みは》るやうにして、「あゝいふところにもさういふことあるのか? ふむ? 面白い? つまりさうするとゐるゐたやつたわけです?」
さうです
さうかな……。さういふこと沢山あるんです?」
 
かう言つたにはその大きな石造《せきぞう》建物一室――卓《テイブル》三脚並べた電話絶えず聞えて来るクツシヨン椅子置いてあるその向う後姿見せてタイピストカチカチやつてゐる一室さまはつきりと浮んだ
それで何うした? では囲つてでもあるのか
いや本社から此方《こつち》来るすつかり解決つけて来たらしい何でももう子供産んだとか言つた――」
よく早く解決出来た?」
だつて困るからなア――」B笑つて
そこに行くとあゝいふあるから何うにでもなる……」
さうかな――」
 
じつと考へ沈んだ思ひがけない人生事実といふことではなかつたけれども一種不思議な心持感じた。「ふむ!」と言つてまた振つた
それでその別品《べつぴん》?」
ちよつと白いだけですかう言つて笑つた
田山花袋(田山録弥)「アカシヤ1924冒頭
1-5.
「ところ(所・処)」1-5.用例(1909)
 祇園では見られなくなつたもの、「雑魚寝ほかもうひとつ逢状というものある
 これ来た茶屋から名差し芸妓舞妓出すものであつて大体葉書大、「××さまゆゑ直ぐさまお越しねがひ上げ候という文句茶屋印刷してあり、××というところ名前書きそれ相手名前書いてそれぞれ芸妓舞妓屋形届けるそうするとそこ苧姆《おちよぼ》それそれぞれ出先届けるのだがでは出した何分しか来ない分つているので二十書くものあるそれだから一流芸妓舞妓なる襟元ところはみ出す多く逢状持つていてそれ一種見得なるものだつた
吉井勇逢状」『祇園歌集』1915、冒頭
1-6.
ところ
には地頭強して、領家は弱く
(「太平記」14世紀後半
1-7.
かの人々を待ちて
ところの名所をも尋ねばや
謡曲求塚」)
2-2.
  の如く近來和歌一向に振ひ不申正直に申し候へば萬葉以來實朝以來一向に振ひ不申實朝といふ三十にも足らでいざ是からといふにてあへなき最期遂げられ誠に殘念致しあの人をして十年活かして置いたならどんなに名歌澤山殘したかも知れ不申兎に角に第一流歌人強ち人丸赤人餘唾《よだ》舐《ねぶ》るでも無く固より貫之定家糟粕しやぶるでも無く自己本量ママ屹然として山嶽高き爭ひ日月競ふ實に畏るべく尊むべく覺えず膝を屈する思ひ有之古來凡庸評し來りし必ずなるべく北條憚りて韜晦せしさらずば大器晩成なりし覺え立つにて文學技藝達したらん人間としては下等居る通例なれども實朝全く例外相違無之何故申す實朝器用といふのでは無く力量あり見識あり威勢あり時流染まず世間媚びざる例の物數奇連中死に歌よみ公卿迚も同日には論じ難く人間として立派な見識ある人間ならでは實朝如きある詠みいでられまじく眞淵極めて實朝ほめたなれども眞淵ほめ方まだ足らぬやうに眞淵實朝妙味半面知りて半面知らざりし故に可有之
正岡子規歌よみに与ふる書」1898、冒頭
  世紀以来仏教入ってきますところがはじめから大乗仏教非常に高度なもの入ってくる唯識などという仏教なかでも最高に論理的でむずかしいものなどただちに入ってくるそれやがて空海などによって土着的なものつなげられる最近研究では空海入唐私度僧山林修行僧として山野うろうろしていたらしく土着的なもの深く根ざした信仰形態かかわりもっていたのではないかいわれていますこのあたりから徐々に土着自然性にじみ出てきて鎌倉期親鸞まで下る自然法爾というような生地丸出しようなところにまでくる
  もう一つ儒教です儒教ちょうど徳川幕府発足した一六〇〇ごろから仏教とって代わる支配的な知的形態としての地位確立しはじめるのですがこれ仏教唯識法相宗中観三論宗ようなややこしいものいきなり受け入れたようにはじめから朱子学という非常に高度な論理形態忠実に受け入れているそれ伊藤仁斎において徹底的な朱子学批判通してかなりシンプルになりある意味仁斎学風継承した荻生徂徠古文辞学なるその徂徠古文辞学方法影響もと本居宣長国学説いたころにはもう自然帰っているわけです同じころ安藤昌益自然帰れという思想生まれるそこへ収束してゆくのです高度なもの入っても鎌倉時代江戸時代という江上先生いわれる内面化段階日本人落着きいいところ収斂してきてそこで一種独創めいたものできる
(上山春平(石田英一郎・上山春平・江上波夫・増田義郎「座談会日本人好奇心エネルギー源泉」『日本文化構造』1972)
2-3-1.
「ところ(所・処)」2-3-1.用例
2-3-2.
「ところ(所・処)」2-3-2.用例
2-3-3.
「ところ(所・処)」2-3-3.用例
2-3-4.
「ところ(所・処)」2-3-4.用例
3.