畢竟(ひっきょう)

14/10/2012 02:40

ひっきょう(畢竟・必竟)

用例

発心畢竟二無別
源信往生要集」985)
しかして其の産を失ふ人を愚かと見ればかへりて身代仕出す人よりは利口才発なる者多し。
畢竟貧福は智恵のみにはよるまじ。只其の業を楽しみてよく勤むると。己が業に飽いて勤めを疎(おろそか)にするとの二《ふたつ》のみ。
饗庭篁村『當世商人氣質』1886) 
数馬傍輩から、外記自分推してこのたび当らせたのだ聞くや否や即時に討死しよう決心したそれどうしても動かすこと出来ぬほど堅固な決心であった。外記ご恩報じさせると言ったということであるこのはからず聞いたのであるが実は聞くまでもない、外記薦めるにはそう言って薦めるにきまっているこう思う、数馬立ってもすわってもいられぬような気がする自分先代引立てこうむったには違いないしかし元服してからのち自分いわば大勢近習うち一人別に出色扱い受けていないには誰も浴しているご恩報じ自分に限ってしなくてはならぬというのはどういう意味言うまでもない自分殉死するはずであったのに殉死しなかったから命がけ場所やるというのである何時でも喜んで棄てるさきにしおくれた殉死代りに死のうとは思わない惜しまぬ自分なんで先代中陰果て惜しんだであろういわれないことである畢竟どれだけ入懇になった殉死するというはっきりしたない同じように勤めていた近習若侍うちに殉死沙汰ないので自分ながらえていた殉死してよいことなら自分よりもさきにするそれほどことにも見えているように思っていたそれにとうにするはず殉死せずにいた人間として極印打たれたのはかえすがえすも口惜しい自分すすぐこと出来ぬ汚れ受けたそれほど加えることあの外記でなくては出来まい。外記としてはさもあるべきことであるしかし殿様なぜそれお聴きいれになった。外記傷つけられたのは忍ぶこと出来よう殿様棄てられたのは忍ぶこと出来ない島原乗り入ろうとしたとき先代お呼び止めなされたそれ馬廻りものわざと先手加わるお止めなされたのであるこのたび当主怪我するなおっしゃるのはそれとは違う惜しいいたわれおっしゃるのであるそれなんのありがたかろう古い新たに鞭うたれるようなものであるただ一刻早く死にたい死んですすがれる汚れではない死にたい犬死でもよいから死にたい
森鷗外阿部一族」1913)
夏の暑い盛りに明治天皇崩御になりました。その時私は明治の精神が天皇に始まって天皇に終ったような気がしました。最も強く明治の影響を受けた私どもが、そのあとに生き残っているのは畢竟時勢遅れだという感じがはげしく私の胸を打ちました。私はあからさまに妻《さい》にそう言いました。妻は笑って取り合いませんでしたが、何を思ったものか、突然私に、では殉死でもしたらよかろうとからかいました。
私は殉死という言葉をほとんど忘れていました。平生使う必要のない字だから、記憶の底に沈んだまま、腐れかけていたものとみえます。妻の冗談を聞いてはじめてそれを思い出した時、私は妻に向かってもし自分が殉死するならば、明治の精神に殉死するつもりだと答えました。私の答えもむろん冗談に過ぎなかったのですが、私はその時なんだか古い不要な言葉に新しい意義を盛りえたような心持ちがしたのです。
それから約一か月ほどたちました。御
大葬の夜私はいつものとおり書斎にすわって、あいずの号砲を聞きました。私にはそれが明治が永久に去った報知のごとく聞こえました。あとで考えると、それが乃木大将の永久に去った報知にもなっていたのです。私は号外を手にして、思わず妻に殉死殉死だと言いました。
私は新聞で
乃木大将の死ぬ前に書き残していったものを読みました。西南戦争の時敵に旗を奪《と》られて以来、申し訳のために死のう死のうと思って、つい今日まで生きていたという意味の句を見た時、私は思わず指を折って、乃木さんが死ぬ覚悟をしながら生きながらえてきた年月《としつき》を勘定してみました。西南戦争は明治10年ですから、明治45年までには35年の距離があります。乃木さんはこの35年のあいだ死のう死のうと思って、死ぬ機会を待っていたらしいのです。私はそういう人にとって、生きていた35年が苦しいか、また刀を腹へ突き立てた一刹那が苦しいか、どっちが苦しいだろうと考えました。
それから2、3日して、私はとうとう自殺する決心をしたのです。私に乃木さんの死んだ理由がよくわからないように、あなたにも私の自殺する訳が明らかにのみ込めないかもしれませんが、もしそうだとすると、それは時勢推移から来る人間の相違だからしかたがありません。あるいは個人のもって生まれた性格の相違といったほうが確かかもしれません。
夏目漱石こゝろ」1914)